2002年4月、平松泰二と田原克行によって結成。2003年2月に10曲入りの1stアルバム『missing weather』をリリース。その後、& recordsに移籍。洋楽ばかりリリースしていた同レーベルにとって初めての日本人アーティストとなる。2004年5月に2ndアルバム『I KNOW YOU KNOW』、2006年3月に3rdアルバム『one plus everything』(レーベルメイトであるHer Space HolidayとOwenが参加)、2008年3月に4thアルバム『It could be done if it could be imagined』と、2年に1枚というマイペースなスタンスでコンスタントに活動。その卓越したメロディー・センスと浮遊感溢れる楽器アンサンブル、音楽ファンをくすぐる独特の音作りが高く評価されており、1stリリース時には日本テレビのインディーズ音楽紹介番組で満点を獲得、Space Shower TVとYahoo!の合同企画「NEW QUALITY MUSIC」で有望新人アーティストとして取り上げられ、2ndの時は主要音楽誌はもちろんMEN’S NON-NOやVOGUEといったファッション誌まで、実に20誌以上にて絶賛された。4thでは、雑誌SPA!でも大きく取り上げられ、収録曲「A.N.Y.」が「飯田の良い家♪」でおなじみの飯田産業のTV CMに使用される。また、ライヴでも、プラネタリウムやカフェなどで独自企画を開催、またHer Space Holiday、Nobody & Mystic Chords Of Memory、Tracer AMC、Kyteといった人気海外バンドの前座を務めるなど、決して数多くはないが、印象的な活動をしている。2009年5月、芸能花伝舎(旧淀橋第三小学校)で開催された廃校フェスに、曽我部恵一、キセル、HARCO、ウリチパン郡、にせんねんもんだいらと共に出演したのを最後に、またしても恒例の長期潜伏期間に。完全に表舞台から姿を消した。その間、各々プライベートな時間を過ごしながら、デモを作るも、少し時間が空くたびに新たな方向性やサウンドの模索に作業は難行する。そしてアルバム数枚分のデモを全て捨て、2011年初頭から再度製作に入る。2011年2月のL’altra来日時にはLindsay Andersonと会い、ゲスト・ヴォーカルとしての参加が決定(「seabed」「recollections」の2曲参加)。2011年3月の震災発生後、& records企画のベネフィット・コンピに「recollections」で急遽参加する。今作収録の「recollections」にはリンゼイがゲスト・ヴォーカルで参加しているが、ベネフィット・コンピ・ヴァージョンは平松のヴォーカルだけの、folk squat2人だけで完成させたヴァ―ジョン。このあたりから活動が活発になり、2011年6月には、彼らのフェイヴァリット・アーティストであるIDAHOの新作『YOU WERE A DICK』が発売され、日本盤にはfolk squatの2人がそれぞれライナーノーツ(平松)と、対訳(田原)を行っている。また2011年8月からは、12月に発売になった、& records初の日本人女性シンガー・ソングライターaoki laskaのデビュー・ミニ・アルバム『about me』の録音、ミックス、プロデュースを平松が担当。自分のアルバムも作らないで何やってんだという声を受けつつも、この作品が大絶賛を受けるにあたって、彼のプロデューサーとしての手腕が高く評価される。この経験と勢いを活かして、ゆっくりと進んできた自身の作品を急ピッチで仕上げ、ようやく、実に4年ぶりとなる5thアルバム『folk squat』が、結成10周年となる2012年に完成。これまでミックスは田原に負うところが大きかったが、aoki laskaでの経験を元に、今作ではミックスを田原が6曲、平松が5曲行うという、ダブル・プロデューサー体制に。もはやセルフ・タイトルしか付けられなかったというほど、結成から10年間、様々な紆余曲折を経てきた、しかし根本的には何も変わらない彼らの音楽性、メンタリティー、手法、そのすべてが詰まった、極めて濃厚な味わいの、まごうことなき最高傑作。