2003年からNYのブルックリンで活動するコリン・ルフィーノとデイヴィッド・グロスの2人組。元々ニュー・オリンズの高校で同級生だった2人は意気投合し、ショート・ヴィデオを作成したことから、コラボレーションが始まる。当時、コリンはNine Inch NailsやSmashing Pumpkins、Radiohead、Massive Attackなどに影響を受けて、The Great and Secret Showというバンドをやっていた。一方、デイヴィッドは、両親がクラシック音楽家であり、最近のヒット・ソングはおろか、1900年以降に書かれた曲から隔離されて育ったクラシック・ピアニストであったが、次第にコリンに感化され、バンドに加入、キーボードを弾くようになる。大学進学にあたってバンドは解散、コリンはNY、デイヴィッドはボストンと離れ離れになるが、夏休みなどを利用して、2人での音楽制作は継続。大学を出て、NYで再会、ホーム・ヴィデオとして活動を始める。03年の冬に作ったデモがUKのWarp Recordsの耳に留まり、04年にWarpから2枚のEPをリリースする。1st EP「That You Might」は、すぐにBBC Radio 1やNME誌にピックアップされ、2nd EP「Citizen」ではRolling Stone誌にフィーチャーされた。06年、USのDefend Musicから1stフル・アルバム『No Certain Night Or Morning』をリリース。収録された2曲が、グラミーにもノミネートされたDJ Sashaの『Involver 2』のリミックスに、Thom Yorke、やLadytron、M83、Apparatらの楽曲と共に使用され、話題となる。音源は2人だけで制作されるが、生ドラムやプロジェクターをフィーチャーしたライヴも定評があり、ヨーロッパ・ツアー中、ロンドンで共演したBlonde Redheadは彼らのライヴに感銘を受け、3週間の北米ツアーのオープニング・アクトに抜擢する。その後も、Justice、Yeasayer,、Flying Lotus、Pinback、DJ Krush、Colder、Radio 4など、錚々たるアクトのオープニングを務める。そのバンド名の通り、ヴィデオも自分達で制作し、「I Can Make You Feel It」のヴィデオは、MTV2の「Subterranean」でプレミア放送され、その後YouTubeのトップにフィーチャーされ、1週間で200,000ヴューを記録した。その「I Can Make You Feel It」も収録された、4年ぶりとなるこの2ndアルバム『THE AUTOMATIC PROCESS』は、Massive Attack、 Boards of Canada、Depeche Mode、Phillip Glassといった初期からの影響を見事に消化し、ミニマルなビートに、デイヴィッドのクラシカルな繊細さ、そしてコリンの実存的な唄が乗るという、ホーム・ヴィデオ節ともいうべきスタイルを完全に確立したエポック・メイキングな作品に。聴き込むうちに、いつのまにか深遠なるホーム・ヴィデオ・ワールドに耽溺してしまう、そんな傑作に、ボーナストラック2曲を追加収録した特別ヴァージョンで、遂に日本デビューを果たす。
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木曜日, 12月 15th, 2011AZURE RAY
木曜日, 12月 15th, 2011ネブラスカ州オマハで活動するオレンダ・フィンクとマリア・テイラーによる女性2人ユニット。元々アラバマ出身で、地元のアート・スクールの学生であった2人は10代半ばでLittle Red Rocketというバンドを結成し、1997年、ポートランドのレーベルTim/Kerrよりアルバム『Who Did You Pay』でデビューする。BellyやThat Dogなどと比較されて評判を呼んだ彼女らはGeffenと契約するも、GeffenのUniversalへの吸収のドタバタのせいで1枚もリリースすることなく終わってしまい、2人はアセンズに引っ越す。そこで、元Gang of FourのHugo Burnhamの目に留まりマネージメントされることになり、Big AtomicのJacque FergusonとJapancakesのScott Sosebeeをリズム隊に迎えて2ndアルバム『It’s in the Sound』を制作、2000年にリリースするも、そこでバンドは解散。2人はアズール・レイとしてデュオで活動を始める。同時に、Bright EyesのConor Oberstの導きにより、Saddle Creek所属のバンドであるNow It’s Overheadに2人とも加入する。そして01年、元Archers of Loafであり現Crooked FingersのEric Bachmannプロデュースによるアルバム『Azure Ray』(収録曲「Sleep」は06年に公開された映画『プラダを着た悪魔』のサウンドトラックに使用される)で、アセンズのWarmよりデビュー。優しく物憂げな2人のヴォーカル、フォークやアメリカーナにエレクトロニカ・エッセンスをまぶした音楽性、ノスタルジックなアートワークなどが評判となる。02年には、Now It’s OverheadのAndy LeMasterプロデュースによるのEP「November」をSaddle Creekよりリリース。同年、2nd『Burn and Shiver』、03年に3rd『Hold on Love』をリリース。USインディー・シーンにおいて確固たる地位と評価を得る。また、2人ともMobyやBright Eyesのアルバムに参加するなど、順風満帆に思えたが、04年に活動休止。事実上の解散となる。その後、彼女たちはそれぞれソロ活動に入り、オレンダは2枚、マリアは3枚ソロ・アルバムをリリースしている(09年リリースの3rdにはR.E.M.のMichael Stipeが参加)。マリアは05年にBright Eyesのリキッド・ルーム公演でオープニング・アクトを務めている。そして、実に7年の不在を経て、奇跡的に2人は再会、素晴らしい復活作『DRAWING DOWN THE MOON』を完成させる。過去のアルバムと同様、Eric Bachmannによるプロデュース、Andy LeMasterと、Vic Chesnutの姪であるシンガー・ソングライターLiz Durrettのゲスト参加という気の置けないアセンズの仲間たちと作り上げられた本作には、7年前と全く変わらない、ただシンプルで、しかし息を呑むほど美しい2人の唄声による完璧な12曲が収められている。 2011年3月、待望の初来日ツアー(w/ 4 bonjour’s parties)が予定されていたが、震災の影響でキャンセルとなっている。
THE ONE AM RADIO
木曜日, 12月 15th, 2011LAを拠点に活動するシンガー・ソングライターであるインド系アメリカ人リシケシュ・ヒアウェイを中心としたバンド。マサチューセッツ生まれの彼は、イェール大学在学中の1998年よりThe One AM Radioとして活動を開始する。元々はアコースティック・ギターとドラム・ループだけのバッキングによる演奏だったが、2000年あたりから、生ドラムやコンピューターを取り入れ、徐々にレパートリーを拡げ、独自のビートを構築していく。最初の公式な音源リリースは1998年にCosmodemonic Telegraphよりリリースされたコンピレーション・アルバム『Tea At The Palaz Of Hoon』に、Bright Eyes、Mary Lou Lord、Bevis Frond、Wheat、Elf Power、Moe Tuckerらと共に提供した1曲。その後、Ted LeoやTracy SheddらとのスプリットやEPを経て、2002年に、自身が運営するTranslucenceより1stアルバム『The Hum of the Electric Air!』をリリース。2004年に、日本のEnvyなどもリリースするLevel Planeより2ndアルバム『A Name Writ In Water』をリリース。LAに居を移し、西海岸アンダーグラウンド・ヒップホップの雄Daedelusの協力も得て制作されたこのアルバムは、米インターネット・メディアPitchforkでも8.1という高得点を記録し、ここ日本でも専門店を中心に話題となる。翌年にはDaedelus、Caural、Aliasらによるリミックス・アルバム『On the Shore of the Wide World』をリリース。DaedelusやCauralのアルバムにもゲスト・ヴォーカルとして参加するなど、精力的な活動を行う。そして2007年、地元LAのレーベルDangerbird(最近はBeady Eye、Maritime、Minus The Bear、Hot Hot Heatなどが在籍)に移籍し、3年振りとなる3rdアルバム『This Too Will Pass』(YOUTH-015)を完成。前作に引き続きDaedelusを始め、多彩なゲストが参加して、究極的に芳醇なサウンドスケープを作り上げたこの作品で日本デビューを果たし(日本盤にはDaedelusとその妻Laura DarlingtonによるユニットThe Long Lostによるカヴァーを収録)、Alternative Pressでは4つ星半を獲得するなど高く評価される。それから4年、ライヴ・メンバーであった仲間達を正式にメンバーに迎えバンドとして生まれ変わって初のアルバム『HEAVEN IS ATTACHED BY A SLENDER THREAD』が完成。ミックスにPhoenix、Depeche Mode、Belle & Sebastianらを手がけ、グラミー賞にもノミネートされたTony Hofferを、ゲストにAnticonのBathsやAlias、DevicsのSara Lovなどを迎えて制作された本作は、これまでのダークで内省的なイメージから一転、明るく、ポップで、しかしどこかビタースウィートなダンス・チューンが並んだ作品に。しかし、得意のストリングスやホーンを配したアレンジや繊細なトラックメイキング、都会での孤独が浮かび上がるような歌詞世界、そしてその優しく心の襞に触れるような唄声は、まさしくThe One AM Radioならではのもの。結果、極上のポップ・アルバムが誕生した。日本盤には、未発表の新曲と、日本でのレーベルメイトであるDNTELとBoy In Staticによるリミックスを追加収録。
STYROFOAM
木曜日, 12月 15th, 20111999年よりベルギーはアントワープで活動するアーネ・ヴァン・ペテヘムによる1人エレクトロ・ユニット。2000年、ドイツのMorr Musicからアルバム『Point Misser』にてデビュー。まさにMorrの真骨頂とも言うべき優しく温かなインディー・ポップ meetsエレクトロニカなサウンドが高い評価を得る。元々はインストゥルメンタルだったが、2nd『A Short Album About Murder』(2001年)、3rd『I’m What’s There To Show That Something’s Missing』(2003年)とリリースを重ねるごとに唄の比重が高まっていき、2004年リリースの4th『Nothing’s Lost』は、自身の声はもちろん、Death Cab For CutieのBen Gibbard、The American Analog SetのAndrew Kenny、Lali PunaのValerie Trebeljahr、Aliasなど多彩なヴォーカリストをフィーチャーした全曲唄ものアルバムに。その間、リミキサーとしても活躍し、mum、Tristeza、The American Analog Set、The Go Find、The Postal Service、Jimmy Eat World、The Free Designなどを手がける。同年にはレーベル・メイトであるISAN、レーベル・オーナーであるThomas Morrとともに来日ツアーを敢行。2006年にはヒップ・ホップ・グループFive DeezのメンバーであるFat Jonとのコラボレーション・アルバム『The Same Channel』をリリース。同ユニットで来日公演も行っている。このアルバム以後、Morrを離れSum 41、Josh Rouse、Datarock、The Submarines、Ladytronなどを擁するカナダの巨大音楽企業体であるThe Nettwerk Music Group傘下のNettwerk Recordsに移籍。ずっと1人で作業してきたベッドルームを抜け出し、LAのプロデューサー・チームWAX LTD(Sebadoh、The Folk Implosion、Eels、Muse、The Backstreet Boysらを手がける)と共同作業の結果生み出された5th『A Thousand Words』は、ヴォーカルにJim Atkins(Jimmy Eat World)、Blake Hazard(The Submarines)、Josh Rouseといった豪華なゲストも参加し、インディー・ロックとポップとエレクトロニカが見事にミックスされた作品となり、音楽的にもセールス的にも大きな飛躍を果たす。それから2年、Bloc PartyのKele のソロやOf Montrealのリミックスが話題を振りまく中、待望の6thアルバム『DISCO SYNTHESIZERS & DAILY TRANQUILIZERS』が完成(タイトルはElvis Costello の名曲「This Year’s Girl」の中にある一節 “those disco synthesizers/those daily tranquilizers”から引用)。同じくWAX LTDのWally Gagelとともに、ハリウッドにある修復されたばかりのTTGスタジオ(かつてはThe Velvet Underground、Neil Young、The Doors、Tim Buckley、Frank Zappa、Jimi Hendrixなどが使用)にて6週間かけて実験を繰り返しながらレコーディングとミックスが行われたという本作は、前作で完成させた”唄ものエレクトロニカ”をさらに発展させ、New Order、Kraftwerk、Depeche Mode、さらには黎明期のエレクトロ・ヒップホップやポストパンクへの深い愛情を包み隠さず、エレクトロニック・ミュージックとしての快感度を究極まで追求したアルバムとなった。まさに”タイムレスなエレクトロニック・アルバム”と呼ぶに相応しいこのマスターピースに、なんとPaul Cook(Sex Pistols)とAlan Myers (Devo)、そして盟友Jim Adkins(Jimmy Eat World)のドラムが花を添えている。2011年2月には待望の単独来日ツアーを成功させている。
VERSUS
木曜日, 12月 15th, 20111990年、NYにてリチャード・バルユットを中心に、弟エドワード・バルユット、紅一点フォンテーン・トゥープスによって結成。バンド名はミッション・オブ・バーマのアルバム名より拝借する。92年、7”「Insomnia」でデビュー。94年にTeenbeatと契約し、1stフル・アルバム『The Stars Are Insane』リリース。96年、バルユット兄弟の末っ子で、現在プラス/マイナスの中心メンバーであるジェイムス・バルユットがギター&キーボードとして参加。メジャーのCaroline Recordsから3rdアルバム『Secret Swingers』をリリースする。このアルバムをもってエドが離れ、同じく現在プラス/マイナスの中心メンバーであるパトリック・ラモスがドラマーとして参加。このメンバーで、98年に同じくCarolineから4thアルバム『Two Cents Plus Tax』をリリース。99年にはスーパーチャンクが主宰するMerge Recordsと契約。99年にEP「Afterglow」、2000年にEP「Shangri-La」、5thアルバム『Hurrah』をリリースする。この間ずっと、インディー・ポップのメロディー・センスと、グランジやオルタナのラウドさを併せもつ稀有なバンドとして、USインディー・シーンでリスペクトを集め続ける。しかし、2001年にリチャードがサンフランシスコに移住したことで、バンドは実質的に活動休止状態に入る。ジェイムスとパトリックはプラス/マイナスとして活動を始め、日本でもすっかりお馴染みの存在に。フォンテーンは自らの名前を冠したバンドThe Fontaine Troupsを結成、リチャード自身も、ソロ・プロジェクトWhysall Laneを本格的にバンド化させる。その後、2005年にTeenbeatの20周年記念イベントに出演したり、単発的にヨ・ラ・テンゴやラヴ・イズ・オールの前座を務めたりはしていたものの、本格的な活動再開とはいかなかった。しかし、07年にリチャードがNYに戻ってきて。Whysall LaneもThe Fountain Toupsも解散、プラス/マイナスも、ドラムのクリスが女性ポップ・シンガーのケリー・クラークソンのサポートを務め休止状態となったことで、プラマイのジェイムスをギターに、パトリックをドラムに迎えた形態で徐々にライヴ活動を再開。2008年にプラス/マイナスと合同で行われた奇跡の初来日ツアーもこの形態で行われた。09年6月、myspaceにてジェイムス、パトリックの脱退、エドの正式加入をアナウンスする。ここにオリジナル・メンバーでの本格的なバンド活動が復活。アルバム制作にも着手する。それから約1年、実に10年ぶりとなるアルバム『ON THE ONES AND THREES』が完成。Caroline時代の2枚を手がけたエンジニアNicolas Vernhes(アニマル・コレクティヴ、ディアハンター、キャット・パワー、スプーンなども手がける)と再びタッグを組んで制作されたこの10曲は、10年の不在を全く感じさせず、瑞々しく輝いている。繊細なメロディーに、琴線を刺激する声、そしてバーストするギター、叙情的なストリングス(現在ライヴはヴァイオリン兼キーボードのマーガレット・ホワイトを迎えた4ピースで行っている。まさにUSインディーの良心そのものといった傑作に仕上がった。スーパーチャンクやヨ・ラ・テンゴと並んで、20年にも渡って多くのバンドに影響を与え、リスペクトされ続けている稀有なバンドの帰還を祝福したい。USでは10年前と同じくMergeからリリースされる。2011年4月、待望の単独来日ツアーが予定されていたが、震災の影響でキャンセルとなっている。
THE WEDDING PRESENT
木曜日, 12月 15th, 2011UK最高のシンガー・ソングライターの1人と謳われるデイヴィッド・ルイス・ゲッジを中心とするカルテット。1985年の結成以後、メンバー・チェンジを繰り返しながらも『BIZARRO』や『SEAMONSTERS』といった誰もが認める名盤を残す。1997年に活動を休止し、以後ゲッジはソロ・プロジェクト的な色彩の強いCINERAMAとして活動する。次第に精力的なライヴ活動をするようになったCINERAMAのライヴ・メンバーがそのまま移行する形で、2004年より新生THE WEDDING PRESENTとしての活動を再開、シアトルでSteve Fiskをプロデューサーに迎えて制作された傑作『TAKE FOUNTAIN』を、自らのレーベルScopitonesよりリリース。さらに111公演にも及ぶワールド・ツアーを敢行するなど、精力的に活動。2008年にはSteve Albiniとタッグを組んだ『EL REY』をリリース、16年ぶりとなるジャパン・ツアーを含めたワールド・ツアーを成功させる。2010年には、名盤の誉れ高い『BIZARRO』発売21周年記念ツアーを敢行、日本でも実現し、2年連続来日となった。日本公演は、渋谷O-WESTにて、ゲストにbloodthirsty butchersとQomolangma Tomatoを迎えて行われ、御歳50とは思えない、圧倒的なヴォーカルと、歯切れのよいカッティングで、満員のO-WESTの観客を熱狂させた。そんな記念すべき来日公演の後半、まさにクライマックスである『BIZARRO』再現パートを全曲収録したライヴ・アルバムが2010年9月22日より、& records/Youth Inc.より、iTunes Store限定で、全世界独占配信を開始。各国から驚異的なダウンロード数を記録する。その後、圧倒的な要望に答え、完全限定日本独占CDとして、まだレコーディングされていない新曲を含む前半パートも収録したコンプリート版2枚組ライヴ・アルバムを2011年2月16日にリリース。過去に名盤を残した偉大なバンドというだけでなく、今がまさに旬のパフォーマンスをみせる現代最高のロック・バンドの一つであることを証明した。そして2012年、4年ぶりとなるスタジオ・アルバムが完成。ここ数年の活動の充実ぶりが結晶しかのような、ただただ最高の歌と演奏による最高のギター・ロックがそこに。このリリースに合わせ、北米を皮切りに初のオーストラリア公演、そして4度目となる日本公演を含む『SEAMONSTERS』発売21周年記念ツアーも企画されている。
+/- {PLUS/MINUS}
木曜日, 12月 15th, 2011ヴェルヴェッツ・チルドレン的なギター・サウンドと、繊細かつ美しいメロディーで、USインディー・ファンを魅了し続けているヴァーサス。NYにて20年以上活動する彼らの中核をなすバルユット兄弟の内、末っ子でギターのジェイムスがソロ・プロジェクトとして始めたのがこのプラス/マイナス。2001年に活動を開始し、2002年にはデビュー・アルバム『SELF-TITLED LONG-PLAYING DEBUT ALBUM』をリリース。そこでは実験的な要素が強かったが、ヴァーサスが実質上休止状態に入り、2003年4月に本国で、10月に日本でリリースされたEP『HOLDING PATTERNS』から、ドラムにクリス・ディーナー、もう1人のギター、ヴォーカルそしてソングライターとして、ヴァーサスのドラムであったパトリック・ラモスが加入し、本格的にフル・バンド化。同年11月にリリースされた2ndアルバム『YOU ARE HERE』でその評価を不動のものとする。これまでに4枚のアルバム、3枚のEPをリリース、来日も5度果たしていて、OGRE YOU ASSHOLE、HUSKING BEE、ACIDMAN、nhhmbase、toddle、Discharming man、タテタカコ、日暮愛葉 and LOVES!らと共演、ストレイテナーのホリエアツシも絶賛コメントを寄せるなど、日本でも確固たる人気を誇る。特にbloodthirsty butchersとは、the band apart、mock orange(the band apartが招聘したUSバンド)とともに、4バンドによるカップリング・ツアーを、2004年、2005年の二年連続行っているのをはじめ、これまでのすべての来日で共演(2008年のみ吉村秀樹ソロでVERSUSと共演)、2005年にはお互いの楽曲をカヴァーしあうスプリットEPをリリース(遅れて2007年にUSでもリリース)するなど、固い絆で結ばれている。また、mooolsとも、2006年、2008年と、二度のカップリング・ツアーを行い、2009年、パトリック抜きでの来日の際も、モールスの企画に出演。同年、来日記念盤としてリリースされたEP「THROWN INTO THE FIRE」にはmooolsのカヴァー「いるいらない」を収録するなど、縁が深い。上記2バンドの楽曲をカヴァーする際も、原語である日本語で挑戦、さらに日本のステージではほとんど日本語でMCをやり、さらにはありとあらゆる日本食を食いつくさんばかりのグルメであり…と、日本通として知られる。ポスト・ロックもエレクトロニカも飲み込んだ、21世紀のバンドが鳴らすべきサウンドの全てが詰まった3rd『LET’S BUILD A FIRE』(2005)、“バンド”としてのエッセンシャルな魅力に溢れた4th『XS ON YOUR EYES』(2008)に続いて、なんと6年という最長のインターヴァルを経て、5thフル・アルバムが到着。ライヴ活動もほとんど行っていないため、もはや活動していないのではと思われつつも、ただただ素晴らしいシンガーソングライターでありプレイヤーである3人が、じっくりスタジオに篭り、音楽と向き合って、突き詰めていった末に辿り着いた、普遍的な境地。なんの衒いもなく、大上段から振り下ろした、現代最高の“ロック”がここに。
CAROLINE
木曜日, 12月 15th, 2011沖縄出身の女性シンガー・ソングライター。本名はキャロライン・ラフキン。J-POPシンガーOLIVIAの実妹。各地を転々とした後、2003年、ボストンのバークリー音楽大学卒業。その後、東京に移住。メジャー・レーベルとの契約寸前まで行くが、姉同様にポップ・シンガーとして期待され、様々なことを強要されることを拒み、自身の音楽を全うする道を選ぶ。2004年にMySpaceにアップした「Where’s My Love?」がNYの優良インディー・レーベルTemporary Residence(Explosions in the Sky、MONO、Pinback、The Booksなどが所属)の耳に留まり、契約。2005年10月、シングル「Where’s My Love?」でデビュー。2006年3月、1stアルバム『Murmurs』リリース。日本でもHuman Highwayからリリースされ、その透明感溢れる歌声と、サンプリングを全く使わず、生のピアノ、ハープ、ベル、ギター、ストリングス、ハンドドラムなどを使用した温かみのあるトラックが、Björk、múmなどを引き合いに出されながら高く評価され、好セールスを記録する。同年7月には、台湾最大の野外フェスティヴァルFormoz Festivalに出演。2007年、ポスト・ロック・バンドのMice Paradeの6枚目のアルバム『Mice Parade』にゲスト参加。以後、全てのライヴに参加するようになり、現在は正式にバンド・メンバーとしてクレジットされている。2010年4月、代官山UNITでのイヴェント「Hennessy artistry」に、Her Space Holiday、LEO今井らとともに出演。バック・コーラスに姉OLIVIAも従えて、日本でのソロとしての初ライヴは、超満員のオーディエンスを前に大成功を収める。そして2011年、5年ぶりとなる2ndアルバム『VERDUGO HILLS』が到着。前作同様、丁寧に編み上げられたミニマルなエレクトロニカを基調としながら、オーガニックで温かみのあるトラックはさらに芳醇さを増し、それが、Mice Paradeとしてレコーディング、そして世界中をツアーした経験から、表現力にさらなる広がりが生まれた歌声を包み込み、天上の音楽とでも言うべき荘厳な美しさを湛えた作品となった。エレクトロニカを新たな次元に押し上げるかのような傑作である本作を、約2週間先行で日本リリースする。ボーナストラックとして、DntelとHer Space Holidayの日本独占リミックスを収録。リリース後は、日本国内外で精力的にライヴを行い、アルバムにも参加したHer Space Holidayのファイナル・ツアー(w/ 4 bonjour’s parties)にフル参加した他、envy、Blonde Redhead、Lymbyc Systym、SOUR、cokiyuらと対バンしている。
IDAHO
木曜日, 12月 15th, 2011その名とは異なり、カリフォルニアを拠点に活動するシンガー・ソングライター、ジェフ・マーティンによる1人ユニット。アメリカン・ミュージック・クラブのマーク・エイツェルやレッド・ハウス・ペインターズのマーク・コズレクとも比較される稀代のソングライター、ジェフは高校の友人、ジョン・ベリーと創作活動を開始し、やがて彼らのテープはキャロライン・レーベルに渡る。1992年、彼らはリンガーズ・ラクテート・レーベルからシングル「Skyscrape」を、翌年、キャロラインから「Palms」をリリースしてデビュー。1993年の末には、ドラムにマーク・ルイス、そしてアンセイン/スワンズのヴィンセント・シグノレリを迎えて制作した1stフル・アルバム『Year After Year』をリリースする。1994年、ジョンがバンドを離れ、アイダホはジェフのソロ・プロジェクトとなる。ドラムを除き、ほぼ全ての楽器を彼が担当した2ndアルバム『This Way Out』を経て、1996年、マーク・ルイスを始めとするミュージシャンたちのサポートによって力強いバンド・サウンドを獲得した『Three Sheets to the Wind』をリリース。傑作と名高い同作で、アイダホはアンダーグラウンド・シーンでの評価を確立。また、ジェフを中心に、ダン・セタやジョーイ・ワロンカーといったミュージシャンたちがその時々に彼を支えるというスタイルも完成した。1998年、アイダホはキャロラインを離れ、バズ・レーベルから4thアルバム『Alas』をリリース。2000年にはジェフは自らのレーベル、アイダホ・ミュージックを設立し、『Hearts of Palm』(2000年)、『Levitate』(2001年)、そして未発表曲集やライヴアルバムなど作品を次々と発表。かつての盟友、ジョンからプロデュース面での支援も受け、相変わらず高いクオリティを誇る作品をコンスタントにリリースし続ける。2005年、4年ぶりとなる10thアルバム『The Lone Gunman』で、& recordsより日本デビュー。好調なセールスを受け、待望の来日公演が期待されたが、実現せずに終わる。その後はまた映画音楽制作などに没頭し、アイダホとしてのアーティスト活動は沈黙を続ける。その間、実に6年。そして2011年、ようやく11枚目となる新作『YOU WERE A DICK』が届けられた。待ち焦がれていた熱心なファンたちの期待を決して裏切ることのない、聴く者の心に切々と訴えかけるような美しい歌が数々詰まっている。耳の肥えた音楽好きたちが、まるで放浪の末にようやく辿り着いた山頂にそっと咲く花のように愛でるようなその音楽。メディアにあまり取り上げられなかったためか、アイダホは確かに知る人ぞ知る存在になってしまっているが、その音楽は決して聴く者を選ぶわけではない。アイダホの歌は誰もが心打たれるほど感動的で、誰もが息を飲むほど美しい。20年目にして、より深くなった唄心と精緻なサウンドスケープは、最高傑作と呼ぶに相応しい。
I AM ROBOT AND PROUD
木曜日, 12月 15th, 2011トロントで活動する中国系カナダ人ショウハン・リームによる1人ユニット。トロント王立音楽院で10年間クラシック・ピアノを学んだ後、コンピューター・サイエンス科の学位を取得しながら、2000年よりアイ・アム・ロボット・アンド・プラウド名義で活動を開始する。2001年に1stアルバム『The Catch』、2003年に2ndアルバム『Grace Days』を、Catmobile Recordsよりリリース。2006年にDarla Recordsに移籍、3月に3rdアルバム『Electricity In Your House Wants To Sing』をリリース。その独自の温かみのあるポップなエレクトロニクス・サウンドが世界中から高く評価される。日本でも大きな評判を呼び、Tower RecordsのNew Ageチャート、iTunes Electronic Musicチャートで堂々一位を獲得した。7月には盟友トクマル・シューゴの協力により初来日ツアーが実現。6955、Miyauchi Yuri、Yucca、Mount Sugarらと共演する。2007年6月には野外イヴェントTaico Club出演のため再来日、さらに同年末から2008年1月にかけて再々来日を果たし、代官山UNITではno.9 orchestra、Pepe Californiaらと、渋谷o-nestではアセンブラ(竹村延和+Fylue Deau)、トクマルシューゴ、group_inou、Ametsubらと共演している。北米、ヨーロッパでもManitoba(現Caribou)、Mumらとツアーを行い成功を収める。しかし、彼の活動は、単なるリリースやツアーだけにとどまらない。ニューヨークの近代美術館 (MoMA) プロデュースによる短編映画のサウンドトラックを手がけ、シカゴ文化センターではオーディオ/ビデオのコラボレーションでの演奏も披露した。さらに映画”Centre Cities”や、アディダスのTV CMなどに楽曲を提供し、ビデオ芸術家やアニメーターともコラボレーション作品を展開している。YAMAHAが開発した新しい音楽インターフェイス「TENORI-ON」のモニター・アーティストにもフォー・テット、トゥ・ロココ・ロット、パステルズ、ジム・オルーク、トータスらとともに選出され、DE DE MOUSEのメジャー・デビュー盤にもリミックスで参加。そんな多岐に渡る活躍と共に、輸入盤店やiTunesで、2年以上前にリリースされた前作が売れ続ける中、2008年9月、待望の4thアルバム『アップヒル・シティ』にて、& recordsより満を持して日本でビュー。もはやアイ・アム・ロボット節としかいいようのないメロディー、そしてトラック・メイキングのエッセンスはさらに研ぎ澄まされ、濃厚に凝縮。ショウハン・リームの集大成とも言うべき作品に仕上がり、CD,、配信ともに驚異的なセールスを記録する。同年10月にはバンド・セットによる来日ツアー(Radical Face、group_inouも参加)を敢行、朝霧JAMにも出演する。その後ソロ・セットで、小倉、福岡、富山、金沢を回り、渋谷のo-eastで開催されたnest festivalおよび京都のボロフェスタにも出演する。2009年5月、クリエイティヴ・カンファレンズ『PUBLIC/IMAGE.METHOD』出演のため緊急来日。インタラクティヴ・アーティスト真鍋大度とコラボレーションする。その後もAira Mitsukiのリミックスを出がけるなど、話題が尽きない中、2010年、到着した新たなアイテムは、ショウハンがかねてより懇意にするアーティストが終結したスペシャル・コラボレーション・アルバム。その名も『UPHILL CITY REMIXES & COLLABORATIONS』。Miyauchi Yuriをフィーチャーした新曲3曲に、トクマルシューゴ、オオルタイチ、ララトーン、モンタグ、ウォッチマンなど洋邦の曲者達が手がけた極上のリミックスを6曲収録。愛すべきロボットの過去、現在、未来を集約し、新たな魅力を付与した記念すべき作品がここ日本から世界へ。同年には、前回同様、バンド・セット、ソロ・セット両パターンでの来日ツアーも大成功。2011年には、YOMOYAの3rdアルバムに参加、9月には日本で共演も果たしている。現在は長らく待たれている5thアルバムを制作中。