Archive for 12月, 2011

JOKER’S DAUGHTER

木曜日, 12月 15th, 2011

ギリシャのキプロス島にルーツを持ちながら、ロンドンに生まれ育ったヴォーカリスト/ソングライター/マルチ・インストゥルメンタリスト、ヘレナ・コスタスによる1人ユニット。7歳から13歳までヴァイオリンを習い、その後独学でギターとキーボードを習得。そして、絶え間なく曲を書き、プロダクションを学び、ロンドン周辺で多くのショウをこなし、パフォーマーとしても成長していった。2003年に、ホーム・レコーディングのデモを、アーティスト/プロデューサーであるデンジャー・マウスに送り始め、そのやりとりは彼の名声が急速に大きくなっていく中でも続けられた。彼らはお互いの中に自然な類似性を認め、コラボレーションを開始する。それはこのジョーカーズ・ドーターというユニット、そして1stアルバム『THE LAST LAUGH』として結実する。ユニット名はヘレナの数多くの移り変わるペルソナの1つにちなんで名づけられた。ヘレナは、様々な領域の感情を表現できる稀有な才能を持ったヴォーカリストであり、ミュージシャンであり、パフォーマーである。そして今回、全面的にトラック・メイキングでフル参加しているデンジャー・マウスは、言うまでもなくゴリラズやベックといったビッグ・ネームのプロデュース・ワークのみならず、自身のユニット、ナールズ・バークレーではグラミー賞を獲得したほどの時代の寵児とも言うべき希代のアーティスト/プロデューサーである。彼ら2人の出会いが、息を呑むほど美しいフォーク・ポップを生み出し、それをブライト・アイズのコナー・オバーストが運営するレーベル、Team Loveからリリースされるということに強い運命のようなものを感じずにはいられない。また、同作にはホーンにニュートラル・ミルク・ホテルのスコット・スピレイン、ストリング・アレンジメントにデンジャー・マウスの近年のコラボレーターであるダニエル・ルッピも参加している。日本盤には先行シングル「Worm’s Head」のカップリング2曲をボーナストラックとして収録する。

SAXON SHORE

木曜日, 12月 15th, 2011

マシュー・ドーティーを中心とする、ペンシルヴァニア出身の5人組インストゥルメンタル・バンド。2001年にマシューとドラマーのジョッシュ・ティルマンによって結成される。2002年、自身のレーベルBroken Factory Recordsよりアルバム『Be a Bright Blue』にてデビュー。その後、Burnt Toast Recordsと契約、メンバーを入れ替えながら、これまでに3枚のフルレングス、1枚のEPをリリースしている。特に2005年リリースの『ジ・エクスクイジット・デス・オブ・サクソン・ショア』は、フレーミング・リップス、モグワイ、ウィーザー、ナンバー・ガール、クラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤー、MGMT等々を手がけてきたデイヴ・フリッドマンのプロデュースにより、彼らの繊細かつ凶暴なメロディー/サウンド・センスが開花。その驚異の完成度の高さが口コミで評判を呼び、ここ日本でも全国の輸入盤店でトップ・セールスを記録。同年のベスト・アルバムの1つに挙げる人も少なくなかった。その反響を受け、2006年3月、同アルバムが、バトルスのタイヨンダイ・ブラクストンのリミックスを追加して邦盤化。さらに同月には、大先輩であるトリステザとのカップリングにより初来日ツアーが実現。先駆者と新世代によるインストゥルメンタル/ポスト・ロック対決に全国が酔いしれた。それから早3年。その間、マシューはバルティモアに、オリヴァーとスティーヴンはブルックリンに移住したこともあり、レコーディングはゆったりとしたペースで行われた。そうやって、ようやく完成した4thアルバム『IT DOESN’T MATTER』は、前作と同じくデイヴ・フリッドマンを迎え、数々のツアーによってライヴ・バンドとして成長したこの5人によるパフォーマンスを生々しく捉えることに成功。さらに、Temporary Residenceから素晴らしいソロ・アルバムをリリースし、マイス・パレードのサポート・メンバーとしてフジ・ロック・フェスティヴァルにも出演したことのあるキャロライン・ラフキン(姉はJ-POPシンガーのOLIVIA)が参加した、初のヴォーカル曲である「This Place」や、オリヴァーとスティーヴンによるストリングス・アレンジを施した「Small Steps」など、新たな試みにも挑戦している。そして、それらがより開かれた空気をもたらし、より多くの人に聴かれるべきという意味で、史上最高に“ポップ”なアルバムとなった。このアルバムをひっさげて、2009年7月、再来日を果たし、日本のポスト・ロック・バンドsgt.とスプリット・ツアーを成功させている。

JEN WOOD

木曜日, 12月 15th, 2011

シアトル在住のシンガー・ソングライター。1992年よりTattle Taleのメンバーとして活動を開始する。2枚のアルバムを残して解散した後、1996年、単身カリフォルニア州サンタ・クルーズに移住。そこでギターとヴォーカルだけで数々のポップ・ソングを制作。1998年に自身のレーベルRadar Lightからソロ・デビュー・アルバム『No More Wading』をリリース。同年、ザット・ドッグのヴァイオリニスト、ペトラ・ヘイデンも参加した2ndアルバム『Getting Past The Static』をリリースした後、再び故郷シアトルに戻る。同年にはさらにTree Recordsよりジョーン・オブ・アークのティム・キンセラとのスプリットEP、そして2000年には同レーベルよりEP「The Uncontainable Light」リリースしている。2002年、3rdアルバム『Traveling through Roots』でクアトロ・ディスクより日本デビュー。2003年にはザ・ポスタル・サーヴィスのアルバム『ギヴ・アップ』に参加。「Nothing Better」でデス・キャブ・フォー・キューティーのベン・ギバードとデュエットし、シングル「Such Great Heights」ではバッキング・ハーモニーを披露している。2004年、Face Hand Shyよりリリースされた日本限定EP「Jen Wood」を引っさげ、盟友Tomo Nakayamaらと共に来日、二階堂和美をゲストに迎え、全国7公演のツアーを成功させている。2009年、実に7年ぶりとなる4thアルバム『Finds You In Love』を日本大先行でリリース。その後、2013年に、ザ・ポスタル・サーヴィスの10周年記念再結成公演にゲスト出演するなどのトピックはありつつも、またしても沈黙を守ること5年、ようやく5thアルバム『WILDERNESS』が到着。これまでのアコースティック・ギターを置いて、全曲ピアノを中心に、シアトルの気の置けない仲間たちによる力強いバンド・サウンドを基調にしつつ、デジタルな要素も導入した、これまでの中でもっとも華やかなアルバムとなっている。そして、やはり特筆すべきは、そんなサウンドの中で、益々滋味に溢れ、さらなる表現力の高みに達したジェンの唄声。あくまでもマイペースに、しかし確実に先に進むことをやめない、表現者としての凄みすら感じさせる1枚。女性シンガー・ソングライター・ファンやUSインディー・ファンのみならず、すべての音楽ファンに届いてほしい傑作。

DAVID BAZAN

木曜日, 12月 15th, 2011

シアトルを拠点に活動するシンガー・ソングライター。牧師の家に生まれ、幼少期から青年期にかけて、クラリネットやドラム、ピアノなどを習得し、ビートルズやトム・ぺティ、そしてフガジなどに大きな影響を受ける。1990年代初期には同郷の盟友ダミアン・ジュラードとバンドを組んでいたこともある。このときデイヴィッドはドラムを担当している。1995年にペドロ・ザ・ライオン結成(基本的にはデイヴィッド1人で、必要に応じて友人に参加してもらうという形態)。97年にクリスチャン・レーベルとして有名なTooth & NailからリリースされたEP「Whole」にてデビュー。98年に前述のダミアン・ジュラードも在籍したMade In Mexicoから1sアルバム『It’s Hard to Find a Friend』、99年に同レーベルからEP『The Only Reason I Feel Secure』をリリース。2000年にはキャップン・ジャズ、ジョーン・オブ・アーク、ザ・プロミス・リング、ジェッツ・トゥ・ブラジルなどを輩出したJade Treeと契約、2ndアルバム『Winners Never Quit』をリリース。同レーベルからは3rdアルバム『Control』(2002)、最後のアルバムとなった『Achilles Heel』(2004)がリリース、そして『It’s Hard to Find a Friend』と『The Only Reason I Feel Secure』がリイシューされている。2003年にはシンガー・ソングライターでマルチ・インストゥルメンタリストであるT.W. Walshが正式参加(後にも先にもデイヴィッド以外にペドロ・ザ・ライオンのメンバーとして正式にクレジットされたのは彼だけである)。2005年には突如デイヴィッドがギターをシンセサイザーに持ち替えて、T.W. WalshとともにHeadphonesを結成。モデスト・マウス、マイナス・ザ・ベア、エリオット・スミスなどをリリースするシアトルのレーベルSuicide Squeezeから1枚アルバムをリリースする(以後、特に何もなし)。その後、Walshが個人的な事情でバンドを離れたあと、2006年1月、ペドロ・ザ・ライオン“解散”が正式にアナウンスされる。以後、デイヴィッド・バザン名義での活動を開始する。同年、ヴィック・チェスナット、ウィル・ジョンソン、マーク・アイツェルらと結成したThe Undertow Orchestraとしてヨーロッパ・ツアーを行う傍ら、ソロ名義での初リリースとなるEP「Fewer Moving Parts」を、デス・キャブ・フォー・キューティーを輩出したことで知られるBarsukからリリース。これは5曲をフル・アレンジしたものと、アコースティック・ヴァージョンの2パターンが収録されている。この頃、デス・キャブ・フォー・キューティーのベン・ギバードと、ジョナサン・ライスとともに全米ツアーを敢行している。また、音楽ブログ・メディアStereogumのレディオヘッド『OKコンピューター』トリビュート企画にて「Let Down」のカヴァーを披露したのも話題に。さらにこの年は、Paste magazine誌にて「Top 100 Living Songwriters」に選出されるなど、デイヴィッドの存在感が本国アメリカ、そしてヨーロッパでも大きくクローズアップされた年となる。2008年10月にはインタヴューとホーム・スタジオ・ライヴで構成されたDVD『Bazan: Alone At The Microphone』リリース。そして2009年9月、遂に待望の1stフル・アルバム『CURSE YOUR BRANCHES』が到着。全ての楽器を自分1人で演奏し唄うという文字通りの完全ソロ作品で、ペドロ・ザ・ライオン時代からなんら変わらない、いやより一層滋味溢れるデイヴィッドの唄の魅力が全開。改めて彼が現代最高のシンガー・ソングライターの1人であるということを知らしめる、至高のデビュー・アルバム。

Guitar

木曜日, 12月 15th, 2011

ドイツ、ケルンを拠点にデジタル・ジョッキー名義で活動するマイケル・ルックナーと、日本人ヴォーカリスト、アヤコ・アカシバによるプロジェクト。哲学の修士号を持ち、現在ドイツを代表する思想家、フリードリヒ・キットラーと共にメディア・サイエンスを研究する傍ら、ドイツ・ジャズのシーンでダブル・ベース、ギター、サックス、トランペットのプレイヤーとして活動していたというユニークな経歴をもつデジタル・ジョッキーは、1995年以降ウルフガング・ハゲドルンと共にコンピュータージョッキー名義で2000年、2001年と続けて作品を発表。そして2002年、ギター名義でリリースされた初のアルバムとなる『Sunkissed』は、全体にデジタルなビートと様々にトリート/パンされたディストーション・ギターのサウンドが見事な美しさをたたえつつレイヤードされ、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインなど1990年代の良質なシューゲイザーを想起させるサウンドに仕上がっている。またアヤコ・アカシバと、ドンナ・レジーナの、儚く愛らしく歌声もこの作品を形作る上で重要な役割を果たしており、初アルバムにして卓越したポップ・センスが光る作品となった。このアルバムのデモを最初に聴いたのがモール・ミュージックのトーマス・モールとクリエイション・レコーズのアラン・マッギーで、アランもこのアルバムを大変気に入ったのだが、デジタル・ジョッキーは敢えてこの作品をモー・ミュージックからリリースすることにしたという。現在にいたる新たなネオ・シューゲイザー・ムーヴメントの先駆けとなった金字塔的アルバム(2009年6月、残響レコードより再発)。2004年6月発売の2ndアルバム『ハニースカイ』からアヤコ・アカシバを全面的にフィーチャー。2004年10月の<sonarsound Tokyo 2004>でのふたりの日本初ライヴは大反響を巻き起こした。2006年、3rdアルバム『ソルティーキッシズ』、4thアルバム『Tokyo』を同時リリース。2007年には5thアルバム『Dealin with Signal and Noise』をリリース。待望の来日ツアーも行った。そして2009年秋、待望の6thアルバム『Friends』が完成。タイトルが示すように、アカシバの身近な事柄への感謝の念を綴った日本語詞が全面にフィーチャーされ、またマイケルが紡ぎだすトラックもこれまでになく軽やかで快感指数が高い。両者の才能がまた違った形で化学反応を起こし、新しいポップの形を作り上げている。& recordsより世界独占リリースとなる。

MATT POND PA

木曜日, 12月 15th, 2011

ニュー・イングランド出身、フィラデルフィアを経て、現在はブルックリンで活動するシンガー・ソングライター、マット・ポンドを中心とした5人組。元々メルズ・ロックパイルというロック・バンドをやっていたマットが、よりパーソナルで真摯な表現に向かうために、移り住んだフィラデルフィアで、知り合ったミュージシャンを集めて、マット・ポンド・ピーエーを結成。PAはもちろんフィラデルフィアのこと。オリジナル・ドラマーには、マザリン(PUMAのCMでお馴染み)やレノラ、ツイン・アトラスのメンバーとしても知られるショーン・バーンの名前もある。98年に『Deer Apartment』でデビュー。ほとんど自主制作的にリリースされたそれは、オンライン・ショップのCD NOWが催した「未契約バンド・コンテスト」でトップを取るという栄誉に輝く。その後、フランクリンやAM/FMのメンバーでもあるブライアン・ソケル主宰によるフィラデルフィアの重要レーベル、file 13から、2nd『Measure』(2000年)、そしてEP「I Thought You Were Sleeping」(2001年)をリリース。ヴェリー・セクレタリー、テッド・レオ、アスペラらとツアーする。2002年、レイチェルズのメンバーでもあったイヴ・ミラーもチェロとして参加するなど、メンバーを一新、レーベルも前述のAM/FMに続いて、イリノイのPolyvinyl(オーウェン、ジョーン・オブ・アーク、ブレイド、31ノッツ、アイダ、オブ・モントリオール、アーキテクチャー・イン・ヘルシンキらを擁する超優良レーベル)に移籍し、7”「This Is Not The Green Fury」、そして3rdアルバム『The Green Fury』(2002年)をリリース、P-VINEより日本デビューも果たしている。年内にもう1枚、4th『The Nature Of Maps』をリリースし、マットはニューヨークはブルックリンに移住する。ここで再度、メンバーを一新し、さらにレーベルもNYベースのAltitudeに移籍。5th『Emblems』(2004年)をリリースし(同アルバムは、翌年、カイザー・チーフスやオーディナリー・ボーイズでお馴染みのb-uniqueからUKリリースされている)、キーンとの大規模なUSツアーも成功させている。2005年、ニール・ヤングやリチャード・トンプソン、ニュートラル・ミルク・ホテルらのカヴァーも収録したEP「Winter Songs」をリリースしたのち、6th『Several Arrows Later』をリリースする。この間、FoxのTVドラマ「The O.C.」に、彼らによるオアシスの「Champagne Supernova」のカヴァーがフィーチャーされ、彼らの知名度は飛躍的にアップする(ちなみに同サントラは、他にもデス・キャブ・フォー・キューティー、アルバム・リーフ、スプーン、イールズ、ピンバック、インターポール等々といったバンドの楽曲を多数収録し、近年のUSインディー・ブームに一役買っている)。同年、リズ・フェアやガスターとのツアーも大成功に終わる。2006年、さらにメンバー・チェンジを行いながらも、ゴメズ、ユース・グループらとツアーし、さらにティーヴィー・オン・ザ・レディオ、ヨ・ラ・テンゴ、ベン・ギバード(デス・キャブ・フォー・キューティー)、ザ・フォーマット、ナダ・サーフ、ヴォックストロットなどと共演するなど精力的にライヴを行う。2007年6月、現在のラインナップとなって初の作品「If You Want Blood」(EP)をリリース。そして、2007年秋、2年ぶり、7枚目となるフル・アルバム『LAST LIGHT』が到着。彼らの大きな特徴であった叙情性の高いストリングスやフラジャイルな浮遊感よりも、より骨太でソリッドなロック・バンド・サウンド、そして“うた”が完全に前面に出て、聴く者を圧倒する。長くアンダーグラウンドな活動をしてきた彼らが、現在ではUSの主要都市では1,000人規模のホールもソールドアウトにしてしまうという状況に対峙し、そこから決して逃げることなく、辿り着いた回答として、あまりにも完璧すぎる13曲。「Taught to Look Away」で見事なデュエットを披露しているニーコ・ケースをはじめテイラー・ロック (ルーニー)、イザベル・ソーレンバーガー(バルド・ポンド)、ロブ・シュナッフ(エリオット・スミス、ベック)、トム・モナハン(パーニス・ブラザーズ、リリーズ)等、豪華ゲスト陣が華を添えている。このアルバムをひっさげて、2007年12月、待望の初来日を果たしている。

MAKE BELIEVE

木曜日, 12月 15th, 2011

キャップン・ジャズ、ジョーン・オブ・アーク、ゴースツ&ウォッカなど日本で人気の高い数々のバンドに関わってきたメンバーによって2003年にシカゴで結成された4人組。録音がメインであるジョーン・オブ・アークのライヴ・バンド化を試みるところから始まり、メンバーのケミストリー重視で、よりコラボレーティヴな“バンド”としての曲作りによってメンバーの強烈な個性がぶつかり、この4人でしかありえないメイク・ビリーヴ・サウンドが誕生した。2004年5月Flameshovel RecordsよりEP「MAKE BELIEVE」でデビュー。同年11月に7″をリリース後、満を持して2006年8月、日本2ヶ月先行で、スティーヴ・アルビニ録音による1stフル・アルバム『Shock Of Being』をリリース。自由でエクスペリメンタルな要素の強いジョーン・オブ・アークと違い、4人がそれぞれパートを固定し、4人だけで鳴らすバンド・サウンドをストイックに追及していく様を捕らえた最良のドキュメントとなり、高い評価を得る。2006年1月、初来日ツアーを敢行。一人ユニットLove Of EverythingとしてOwenに勝るとも劣らない唄心を披露したボビー、永遠にタッピングを続けるサム、ドラムを叩きながらキーボードを弾くというありえない離れ業をさらりとこなすネイト、その上で、Calvin Johnsonもかくやというぐらい自由すぎるヴォーカリゼーションとステージングを披露するティムは、観る者の脳裏に強烈なインパクトを残して去っていった。その後、ドラムのネイトが、公然猥褻罪で収監されるというアクシデントを乗り越え、同年9月、2ndアルバム『Of Course』リリース。同時発売されたティムの弟マイク・キンセラによるソロ・ユニット、オーウェンの4th『At Home With Owen』とともに、その年の秋冬をキンセラ一色に染め上げた。2007年1月には、メイク・ビリーヴ&オーウェンによるダブル・ヘッドライナー・ジャパン・ツアーも成功させた。その後もSpin.comのArtist Of The Yearにノミネートされるなど、誰もが今後の活躍を疑わなかった中、フロント・マンであるティムが、フロント・マンとしての重圧と、ツアーのストレスに耐えかね、突然脱退を表明。バンドは空中分解するかに思えた。残された3人は、このままインスト・バンドで行くのか、新しいヴォーカルを迎えるのか、試行錯誤を重ねたが、結局この完成されたメイク・ビリーヴ・サウンドにおいてティムが不可欠なのは言うまでもなく、結果、再び4人でスタジオに入ることになった。前作同様、Electrical Audio Studioにて、録音にPelican、Magnolia Electric Company、Neurosisなどを手がけるGreg Normanを迎えて制作された3rdアルバム『GOING TO THE BONE CHURCH』では、これまでのゴタゴタが嘘のように、いとも簡単に、この4人でしかありえない唯一無二のケミストリーを再創出。現在も、世界最高のオリジナリティを誇るバンドであることを証明してみせた。今後、本家ジョーン・オブ・アークとしての活動もある中、彼らがどうなっていくのか、一瞬たりとも目が離せない。

LYMBYC SYSTYM

木曜日, 12月 15th, 2011

アリゾナ郊外で生まれ育ったMichaelとJaredのBell兄弟は、2001年後半よりLymbyc Systymとして活動を開始する。アーティスト名は「(大脳の)辺縁系」を意味するLimbic Systemの母音をすべてyに変えたもの。2006年、セルフ・リリースによるEP『Carved By Glaciers』にてデビュー。Tortoise、My Bloody Valentine、Explosions In The Sky、Four Tet等からインスパイアされた彼らの楽曲は、弟ジャレドが紡ぎ上げるヴィンテージ・キーボードとアナログ・エフェクトによる幾重ものレイヤーに、兄マイケルによるダイナミックなドラミングとラップトップによる複雑なプログラミングが見事なコントラストを織り成し、温かくも攻撃的、荒々しくも繊細な、独自のサウンドスケープを鳴らし、ポスト・ロックやインディー・ロックやフォークトロニカといったジャンルを軽く超越することに、若くして早、成功している。その無限なる可能性を感知した偉大なる先達、The Album LeafやMice Paradeは逸早く彼らをオープニング・アクトに抜擢した。そして2006年9月、Mush Recordsと契約。1stアルバム『LOVE YOUR ABUSER』をリリース。ツアー・メイトであるJimmy Lavelle (The Album Leaf)や、Dylan Christy (Dylan Group、Mice Parade)等の協力も得て制作された、初のフルレングスとなる同作は、その濃密なる10曲で、インストゥルメンタル・ミュージックがこれまで成しえなかった領域のエモーションまでも表現した傑作に。その後も、Four TetやSaxon Shoreといったバンドと共演を重ね、その勢いのまま同年6月に初来日ツアーを敢行。日米ともにレーベルメイトであるBoy In Static、4 bonjour’s partiesとともに「Mush Records/& records Showcase Tour 2007」として行われたツアーでは、ライヴ・バンドとしてすさまじいパフォーマンスを見せ付け、「2人バトルス」とも称される。その後も、The One AM Radio、Montagらと全米ツアーを行い、評価をゆるぎないものとする。2008年3月、『LOVE YOUR ABUSER REMIXED』が完全自主制作によって、緊急リリース。盟友The Album Leafをはじめ、Bibio、Daedelus、The One AM Radioなど錚々たる面子が1stの楽曲を調理した超豪華リミックス・アルバムとなる。また、この頃、2ndアルバムの制作を進める傍ら、マイクがカナダのCrystal Castlesのサポート・メンバーに抜擢されツアーに参加、サマー・ソニックで来日も果たしたのをはじめ、バンドとしてもHer Space Holiday、The One AM Radio、Andrew Kenny(The American Analog Set)などのバック・バンドを務めたり、Bloken Social Scene、The Books、This Will Destroy Youらとツアーをするなど、精力的な活動をこなす。2009年1月、ツアーの縁から発展し、This Will Destroy YouとのスプリットEPがMagic Bullet Recordsからリリース。そして10月、2ndアルバム『SHUTTER RELEASE』が遂にリリース。This Will Destroy YouやBalmorhea、Slow Sixといった友人らの協力を得、ミックスをModest Mouse、St. Vincent、 Explosions in the Sky、Black Mountainなどを手がけたJohn Congletonに委ねた今作は、1stで見せた大器の萌芽が、その後の充実した活動によって結実した様が、リアルに刻印された一枚に。オルガン、ヴィブラフォン、アナログ・シンセ、バンジョー、アフリカン・パーカッション、トイ・ピアノといったお馴染みの素材だけでなく、友人達によるストリングス、ホーン、ギター、ラップ・スティール等々、あらゆる素材が見事に調和し、息を飲むほど美しいサウンドスケープを紡ぎだす。日本盤はThis Will Destroy YouとのスプリットEPに収められた3曲を追加収録し、世界に先駆けてリリースする。2010年6月と2011年7月に、アジア・ツアーの一環で緊急来日、グッドラックヘイワ、4 bonjour’s parties、Caroline、oono yuukiらと共演している。2012年1月、マイクはKNESSETのサポート・ドラマーとしてまたしても来日。そして9月、3年ぶり、Western Vinylに移籍して初のアルバム『SYMBOLYST』リリース。

HEADLIGHTS

木曜日, 12月 15th, 2011

イリノイ州シャンペーンにて活動するクァルテット。00年代初頭に、Kindercoreに所属していたMaseratiと、Parasolに所属していたAbsinthe Blindのメンバーであったトリスタン・レイトを中心に結成。初期の名前やメンバーが流動的な時期を経て、2004年よりトリスタン、エリン、ブレットのメンバーで、ヘッドライツとして活動を始める。Adam Schmittをプロデューサーに向かえ「The Enemies EP」を自主制作。Velocity GirlやLilysといった90年代のUSノイズ・ポップを00年代のエレクトロニクスで甦らせたようなそのサウンドが話題となり、ライヴと通販だけのリリースにもかかわらずソールドアウトとなる。その話題を聞きつけたPolyvinylと契約。2005年11月に「The Enemies EP」を再発する。2006年にカナダのThe Most Serene Republicとスプリット・シングルを出したあと、1stフル・アルバム『Kill Them with Kindness』をリリース。各音楽誌で絶賛を浴びる。2007年、Decibullyのニックと、地元の盟友Shipwreckのジョン・オーウェン(ギター)が加入し、5人組となる。2008年2月、2ndアルバム「Some Racing, Some Stopping」リリース。またPitchfork限定でDead OceansのThe Evangelicalsの「Skelton Man」のカヴァーを発表する(本盤にボーナストラックとして収録)。The Evangelicalsとのツアーを成功させる。同年12月、初のリミックス・アルバムをリリース。リミキサーには、The Album Leaf、Cale Parks(Aloha)、T.J。Lipple (Aloha)、Uzi & Ari、Jason Caddell (The Dismemberment Plan)、Via Satellite、Casiotone for the Painfully Alone、Son Luxといった豪華な面子が揃い話題となる。そして2009年、1月にリリースされたミニ・アルバム「Keep Your Friends and Loves Close. Keep the City You Call Home Closer」に続いて、3作目のフル・アルバムとなる『WILDLIFE』が到着。当初難航したレコーディング・セッションを経て、ジョンが脱退。4人組として再始動した初のアルバムとなる本作は、前作同様、ブレットによるホーム・レコーディングで制作された。さまざまな喪失があり、へヴィな状況ではあったが、そのことがトリスタンとエリンのソングライティングに深みを与え、また4人のバンドとしての結束を高め、結果、これまで以上に瑞々しく輝く歌達に結実している。60年代ポップスや90年代のギター・ポップが持つきらめきを、現代のセンスとフォーマットでヴィヴィッドに響かせることができる稀有なバンドであることを証明したこの傑作3rdアルバムで、遂に日本デビュー。

CAMERA OBSCURA

木曜日, 12月 15th, 2011

スコットランドはグラスゴー出身の男女混合5人組インディー・ポップバンド、カメラ・オブスキュラ。パステルズやティーンエイジ・ファンクラブ(現ドラマーのフランシス・マクドナルドはバンドのマネージャーも担当)、ベル・アンド・セバスチャンと多くのバンドを輩出してきた音楽都市グラスゴーで1996年に結成された彼らは、2001年にアルバム『Biggest Bluest Hi Fi』でデビュー。どこか懐かしい60年代風の楽曲とさわやかなハーモニー、そしてなによりグラスゴー・バンドならではの心の琴線に触れる温かなメロディーで人気となり、ここ日本でも話題に。また、2nd、3rdがスーパーチャンクのレーベルMERGEからリリースされ、アメリカでも大ブレイクを果たす。そんな彼らが、約3年ぶりに名門レーベル4ADに移籍して2009年にリリースした最新作『My Maudlin Career』を携えて来日。東京2デイズとなる公演は、クッキーシーン誌の協力のもと、カジヒデキ、フルカワミキ、OGRE YOU ASSHOLE、STRUGGLE FOR PRIDE、4 bonjour’s partiesも参加した豪華なイベントとなった。この記念すべき初来日を記念して、2006年にスペインのエレファントよりリリースされた名盤の誉れ高い3rdアルバム『LET’S GET OUT OF THIS COUNTRY』を、7”のみに収録された曲など5曲ものレアトラックを追加収録して邦盤化。