Archive for 12月, 2011

ARTHUR & YU

木曜日, 12月 15th, 2011

シアトルを拠点に活動するGrant OlsenとSonya Westcottによる男女デュオ。2005年、Sonyaがインターネット上に掲載した、ユニークなメンバー募集にGrantが反応して、出会う。たまに友人を交えたりしながらも、ほとんど2人で、Grantのベッドルームで曲を作り、録音を始める。しばらくして、そのデモを耳にしたJimmy Tamborello(Dntel、The Postal Service、Figurine等)から声がかかり、Jimmyのテクノ・ポップ・ユニットJames Figurineのアルバム『MISTAKE MISTAKE MISTAKE MISTAKE』の1曲目「55566688833」にSonyaがヴォーカルとして参加することになる。Jimmyとのコラボレーションは、彼のDntel名義での2ndアルバム『Dumb Luck』でも継続される。Jimmyの作ったトラックに、様々なアーティストが歌詞とメロディーを乗せるという形で作られたこのアルバムの5曲目「The Distance」で、Grantが歌詞を提供し、Sonyaとともにハーモニーを披露している。このコラボレーション以前は、エレクトロニック・ミュージックをほとんど聴いたことがないというGrantだが、ここでは見事なケミストリーを醸し出している。そして、2007年、初のアルバム『IN CAMERA』が完成。お互いの幼少の頃のニックネームだというユニット名のとおり、アコースティック・ギターやタンバリン、グロッケン、そして何より深いエコーに包まれた二人の歌声が、聴くものを温かくイノセントな世界に誘う。現在、第二期黄金期ともいえるSub Pop Recordsの出版部で働いていたSarah Moodyは、彼らの歌世界に魅了され、そして遂には彼らのためだけにSub Popの中に新レーベルhardly artを立ち上げるに至る。そんな、バンドにとって、レーベルにとって、初のリリースとなる記念すべき1枚が、& recordsより、彼らが世に出るきっかけとなった2作と同時に、世界に先駆けてリリースされる。

xoxo, panda

木曜日, 12月 15th, 2011

サン・フランシスコ近郊のサン・マテオ在住のシンガー・ソングライター、マーク・ビアンキによる1人ユニット。元々、ハードコア・バンドで活動していたが、1996年よりハー・スペース・ホリデイとして1人で創作活動を開始する。最初期は、箱庭的ギター・ポップであったが、2001年リリースの4thアルバム『MANIC EXPRESSIVE』で、大胆にエレクトロニカを導入し、絶賛される。続く5thアルバム『THE YOUNG MACHINES』(2003年)では、ヒップホップ的グルーヴも獲得。翌年、日本デビューを果たし、いきなりのスマッシュ・ヒットとなる。同年夏、初来日。さらには、ブライト・アイズ(以前、スプリットで共演経験あり)、フェイントとのツアーを敢 行、キッド606やブーム・ビップらのリミックスを手がけている。2005年リリースの6thアルバム『THE PAST PRESENTS THE FUTURE』のリリースの直前には、サマー・ソニックにも出演を果たし、同アルバムが大ヒットを記録する中、盟友アメリカン・アナログ・セットとのカップリングで来日ツアーを成功させる(京都では13 & GODも参戦)。2006年には、元YMOの高橋幸宏のソロ・アルバムに作詞とヴォーカルで参加したのみならず、合同ツアーも敢行(このツアーの模様はDVD化の予定あり)。その合間を縫うように、ジョゼフ・ナッシングとピアナとのコラボ・ユニットであるザ・ハートブレイク・モーメントのEPや、イラストレーターpcpとのコラボレーションである絵本CD『THE TELESCOPE』をリリースするなど、精力的に活動。そして、2007年夏、三菱自動車「OUTLANDER」のCMにて、「Stand By Me」を唄う彼の声がお茶の間に響き渡る中、新たなユニットであるxoxo, pandaのアルバム『THE NEW KID REVIVAL』が遂に完成。これは決して“サイド・プロジェクト”などではない。『MANIC EXPRESSIVE』『THE YOUNG MACHINES』『THE PAST PRESENTS THE FUTURE』という“エレクトロニカ3部作”にて、ある種の達成感を得た彼が、改めて“うた”の力、そして肉体性を獲得するべく、エレクトロニクスをあえて排除。アコースティック・ギター、ベース、バンジョー、グロッケンシュピール、ドラムなどの楽器をすべて自分で実際に演奏し、そして、ハー・スペース・ホリデイでの囁くような、俯き加減な唄い方と比べると、驚くほど力強く、高らかに歌い上げている。彼が素晴らしいトラックメイカーであると同時に、素晴らしいメロディーメイカーでもあること、そしてアーティストとしてネクスト・レヴェルに到達したことを証明するかのように、とてもプリミティヴでジョイフル、シンガロング度の高い、愛すべき歌たちが詰まった作品となった。同アルバムには、すでにハー・スペース・ホリデイのステージでも演奏されていたお馴染みの楽曲に加え、前述のザ・ハートブレイク・モーメントと、絵本CDのテーマ・ソング「ザ・テレスコープ」のセルフ・カヴァーも収録。さらに、日本盤には、サッポロビールYEBISU THE HOPのCMソング「第三の男」のフル・ヴァージョンもボーナストラックとして収録される。なお、マークは、同CM夏編(7月より1クールオンエア予定)に、コーネリアスや曽我部恵一、クラムボン、高田蓮、つじあやのらと並んで、外国人として唯一人出演し、演奏シーンを披露している。アートワークは絵本に引き続きpcpが担当している。2007年11月には4 bonjour’s partiesをバックに従えて日本ツアーを敢行。以後、4bonはマークの欠かせないパートナーとなる。なお、本作は1年後、本国では再びMush から、HER SPACE HOLIDAYの『xoxo, panda and the new kid revival』としてリリースされており、アーティスト名としてのxoxo, pandaは日本だけの、それも一時期だけのものとなった。

MIA DOI TODD

木曜日, 12月 15th, 2011

ロサンゼルスで活動する日系ハーフの女性シンガー・ソングライター。日本名は土井美亜。日本滞在中は映画『メゾン・ド・ヒミコ』への出演で知られる田中泯に師事し、暗黒舞踏を学んでいた。イェール大学在学中の1997年に1stアルバム『The Ewe and the Eye』にてデビュー。2002年には4枚目となるアルバム『The Garden State』で、コロムビアよりメジャー・リリースも果たしている。その後、LAのPlug Researchより、Beachwood SparksやBrian Jonestown Massacreのメンバーがバックを務めた『Manzanita』と、そのリミックス・アルバム『La Ninja』をリリース。ハスキーで翳りのある歌声でエレクトロニカ系ミュージシャンからの支持も高く、Savath & Savalas、Nobody、DNTEL、Adventure Timeなどの作品で客演している。Ammon ContactのCarlos Nino、ヴィオラ奏者のMiguel Atwood-Fergusonと共に、自らプロデュースした2008年リリースの『GEA』は、『La Ninja』から2年ぶり、『Manzanita』から数えると3年ぶり、そして実に7枚目のアルバムになる。ベースにJoshua Abrams (Town & Country、Reminder)、パーカッションにAndres Renteriaらを迎え、ミアの滋味溢れる唄を際立たせるべく、深遠なる音世界を構築している。2月からは、ホセ・ゴンザレスと共に北米ツアーに出るという彼女。2008年、この傑作『GEA』によって、彼女の名前が大きくクローズアップされることは間違いない。

PORT O’BRIEN

木曜日, 12月 15th, 2011

2005年初頭に、カリフォルニアのカンブリアに住むカンブリア・グッドウィンと、同じくカリフォルニアのオークランドに住み、毎年夏にはアラスカで父親の漁業を手伝うというフィッシャー・マンでもあるヴァン・ピアースザロウスキーによって、フォーク・デュオとして結成される。ほどなく、カンブリアがベイエリアに引っ越すのを機に、ケイレブ・ニコラスとジョシュア・バーンハートをリズム隊に向かえ、バンドとなる。2006年に、EP「Nowhere To Run」LP『When The Rain Comes』をリリース。完全自主制作/リリースにも関わらず、その荒削りながら、心に突き刺さる唄心が話題を呼び、ブライト・アイズやトゥー・ギャランツのオープニング・アクトに抜擢される。また、マット・ウォードがピッチフォークのインタヴューで、「Nowhere To Run」収録の「ⅠWoke Up Today」を、ソング・オブ・ザ・イヤーに選出。大きな話題となる。2007年夏には、前述の自主制作の2作をコンパイルした編集盤『The Wind And The Swell』をAmerican Dustよりリリース。当然のようにピッチフォークやオール・ミュージック・ガイドで高得点を獲得、スピン・マガジンでも「ⅠWoke Up Today」が“Songs To Download Now(今、ダウンロードすべき曲)”としてフィーチャーされる。その後も、モデスト・マウスやローグ・ウェーヴらとステージを共にするなど、着実にその名を知らしめていく。そして、2008年春、遂にこの1stフル・アルバム『ALL WE COULD DO WAS SING』が到着。半数を、タイニー・テレフォン・スタジオにて、ニール・ヤング、デス・キャブ・フォー・キューティー、サン・キル・ムーン、マウンテン・ゴーツらを手がけたアーロン・プレウィッツによって、残りの半数を、パン・アメリカン・スタジオにて、ペイパーカッツのジェイソン・クエーヴァーによって録音された本作は、ニール・ヤングやウィル・オールダムといった偉大な先達に通じる枯れた唄心と、アーケイド・ファイアやクラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤーといった新世代バンドが持つ瑞々しさや荒々しさを併せ持った稀有なバンドの、堂々たるデビュー作品に仕上がった。日本盤にはボーナストラックとして『The Wind And The Swell』から1曲と、未発表新曲が追加収録される。

CLUE TO KALO

木曜日, 12月 15th, 2011

オーストラリア、アデレード出身のマーク・ミッチェルによるソロ・プロジェクト。子供の頃からテープ作りをしていたというマークはスーパー・サイレンス名義で活動を開始。MP3やCD-Rで楽曲を発表した後、2000年に地元のレーベル、サージェリーから、スーパー・サイレンスのアルバム『Love Like Life In Miniature』をリリース。現在のクルー・トゥ・カロの音楽に比べて「よりはっきりとエレクトロニックで、より混沌としていた」と彼自身が評価するその作品は、オーストラリアのオルタナティブ・ラジオ局で年間トップ10に選ばれるなど高い評価を得た。翌年、スーパー・サイレンスはオーストラリア、ニュー・キャッスルで開催されたサウンド・サミット・フェスに参加。ワイアー誌に「フェスのハイライト」とされたそのライヴ・パフォーマンスは注目で集める。この時、マークは同じくフェスに出演していたアメリカ西海岸のアンダーグラウンド・ヒップホップ集団アンチコンのクルー、ドーズワン、ソール、ジェルらと出会い、スーパー・サイレンスのCDを気に入ったドーズワンらはマークの新曲が入ったCD-Rをマッシュに紹介。マッシュは即座にマークとの契約を決めた。2003年、マークはマッシュからクルー・トゥ・カロ名義での1stアルバム『Come Here When You Sleepwalk』を発表。マッシュと提携するエレクトロニック・ミュージックの世界的な名門レーベル、リーフを通じてイギリス、ヨーロッパでもリリースされる。ブーム・ビップら同業者も敬服したこの作品で、彼の音楽はプレスに「ボース・オブ・カナダに乗る酔ったバッドリー・ドローン・ボーイ」などと喩えられ、ムームやパルス・プログラミング、Dntel、ミズ・ジョン・ソーダなどと比較された。2005年、2ndアルバム『One Way, It’s Every Way』リリース。海外では再びマッシュ及びリーフがリリースした同作は、アコースティック・ギターなどの生音の響きを最大限に活かしたオーガニック・サウンドをエレクトロニクスで調理。マークのソフトなヴォーカルで歌われる美しいメロディを優しくそえた逸品となった。この2ndで日本デビューを果たした彼は、2006年、来日。緊急来日にも関わらず、代官山UNITにてキエラン・ヘブデン(フォー・テット)&スティーヴ・レイドのオープニング・アクトを務め、渋谷O-NESTでは、ハー・スペース・ホリデイ、4 bonjour’s partiesと共演。超満員のオーディエンスに、強いインパクトを残して去っていった。そして2008年、3年ぶりとなる3rdアルバム『LILY PERDIDA』が到着。冒頭から、大胆にフィーチャーした女性ヴォーカルとピアノの調べに驚かされる。前作以上に、オーガニックな感覚や唄心がより全面に出ており、さらに、今回は、各曲タイトルに”~, by ~”とあるように、全ての楽曲が、どの視点から書かれたものか明確にしており、コンセプト・アルバムの体となっている。このように、サウンドも言葉も完全にコントロールして、新たな一大叙事詩を創り出した。音楽家として、トータルなプロデューサーとして、格段の成長を遂げたことがわかる。デビュー当時、エレクトロニカの新星と謳われた彼もまた、単なる”エレクトロニカ”の秀才などではなく、”ポップ・ミュージック”の天才であったのだ。日本盤には、ボーナストラックとして、ピクチャー・ヴァイナルとしてリリースされる予定の4曲入りEP「Man Who Took A Step Expecting A Stair But Instead Got Level Ground」(ビートルズ”Mother Nature’s Son”の秀逸なカヴァーを含む)を完全収録。CD化されるのは日本だけとなる。

HEAD LIKE A KITE

木曜日, 12月 15th, 2011

1999年に結成されたシアトルの4ピース・バンドShusiroboのギタリスト、デイヴィッド・エインモによるワン・パーソン・プロジェクト。2006年に地元シアトルのレーベルPattern 25から1stアルバム『Random Portaits of the Home Movie』をリリース。プロデュースとミックスにブライアン・デック(モデスト・マウス、アイアン&ワイン、オーウェン)を、ゲスト・ミュージシャンにエイシャ(スムーシュ)、ダリアス・ミンワラ(ザ・ポウジーズ、プレストン・スクール・オヴ・インダストリー)、デイヴィッド・ウィークス(キンスキー、ザ・コップス)、グレイグ・マーケル、バーバラ・トレンタラーゲ(クルーキッド・フィンガーズ)らを迎えた同作は、タイトルどおり、両親が撮り貯めた古いホーム・ビデオからのサウンド・サンプリングをもとに、ロックはもちろん、ヒップ・ホップからトリップ・ホップ、クラウトロックまで溶かしこんだその過剰なまでの編集センスは、「フォー・テット、ノーツイスト、マウス・オン・マーズ、ディスメンバメント・プランが、ファクトリー全盛期のマンチェスターでパーティーを主催してるよう」「プライマル・スクリーム・スタイルのヴォーカル・ループの上に、ステレオラブのキーボードを、さらにその上に、ソニック・ユースのギターが乗っている」「ブライアン・イーノのギターに、ピンバック調のメロディー」等々、なんだかよくわからない、ありとあらゆる表現によって、各音楽誌にて絶賛される。翌年には来日も果たし、Oak、 Avengers in Sci-Fi、The Telephonesらと共演している。それから2年、LAのMush Recordsに移籍し、2ndアルバム『THERE IS LOUD LAUGHTER EVERYWHERE』が完成。ミックスにブライアン・デック、マスタリングにデイヴ・クーリー(デンジャー・マウス、プレフューズ73、マッドリブ、デーデラス)、ゲスト・ミュージシャンに、エイシャ(スムーシュ)、エリック・コーソン(ザ・ロング・ウィンターズ)、PJ・オコナー(レディオ4)、バートン・キャロル&バーバラ・トレンタラーゲ(クルーキッド・フィンガーズ)、グレイグ・マーケル、ダリアス・ミンワラ(ザ・ポウジーズ、プレストン・スクール・オヴ・インダストリー)等々、前作同様、書ききれないぐらいのインディー・スター達が集結し、ロックでエレクトロニックでヒップ・ホップなビートが、ダンスフロアを熱くする、とても下世話で、でも抗えない魅力を放つ傑作/問題作が誕生した。日本盤には、ノーバディ、ブーム・ビップ、デーデラス、アンティMCによるリミックス、ハー・スペース・ホリデイによる(xoxo, pandaテイストの)カヴァーといった具合に、レーベルメイトが総出演して、彼の移籍、そして日本デビューを祝福している。

EARLIMART

木曜日, 12月 15th, 2011

ロス・アンジェルスにて、アーロン・エスピノーザを中心に、1999年より活動を開始する2人組(結成当初は4人)。バンド名は、アーロンの故郷フレズノーとLAの中間にある小さな町の名前にちなんで付けられた。2000年、カリフォルニアのモデスト(グランダディの出身地)のインディー・レーベルDevil In The Woodsより1stアルバム『Filthy Doorways』にてデビュー。同年、2nd『Kingdom Of Champions』をリリースし、バンドとしても精力的に活動する傍ら、LA近郊、シルヴァー・レイクそばのイーグル・ロックに、自らのスタジオでもあると同時に、音楽的集合体でもあるThe Shipを設立。そこから、アーヴィン、シルバーサン・ピックアップス、レッツ・ゴー・セイリング、シー・ウルフなど、数々の好アクトを輩出するだけでなく、グランダディ、エリオット・スミス、フォーク・インプロージョン、ブリーダーズなどの作品制作に深く関わる。アーリマートとしては、2003年に、NYの大手総合エンターテイメント会社Palm Picturesと契約。EP「The Avenues」『Everyone Down Here』(グランダディのジェイソン・リトルが共同プロデュースとして2曲に参加)をリリース。米インターネット・メディアPitchforkにて、8.5ポイントを獲得するなど、高い評価を得る。翌年には、4thアルバム『Treble & Tremble』をリリース。3万枚以上のセールスを記録する。ライヴ活動も精力的に行い、ペドロ・ザ・ライオンとのツアーも成功させている。その後、メンバーも2人だけとなり、所属レーベルも閉鎖するなど、苦難の時を越えて、2007年8月、3年ぶりとなる5thアルバム『MENTOR TORMENTOR』(YOUTH-039)を、ライノの創設者リチャード・フースが2003年にスタートさせた総合エンターテインメント会社Shout! Factory内にアーリマートのために新たに設立されたMajordomo Recordsからリリース。2008年1月には日本デビューも果たす。3月にはSXSWで連日熱いプレイを披露し、なんとダリル・ホールの前座も務めた。そして、7月。前作から1年足らずという短いスパンでリリースされる6thアルバム『HYMN AND HER』は、前作同様、The Shipにてセルフ・プロデュースで制作。繊細でメランコリックな楽曲と唄心、そしてエンジニアならではの感性で編み上げられたサウンドスケープによるサイケデリアといった彼らの魅力が溢れんばかりに詰まっている。今回も収録されたアリアナ単独で作られた楽曲も素晴らしく、全体を通しても彼女の貢献度は特筆に価する。かつては恋人同士であり、今はともに音楽を創造する盟友である2人だからこそ創り出せた、インティメイトな肌触りに、感動せずにはいられない。このアルバムをひっさげて、2009年には来日ツアーを成功させている。その後、元GRANDADDYのジェイソンとアーロンとともにADMIRAL RADLEYを結成。2010年にアルバムをリリース。来日ツアーも成功させている。

TILLY AND THE WALL

木曜日, 12月 15th, 2011

2001年よりネブラスカ州オマハで活動する男女混合5人組。2004年、同郷の雄、ブライト・アイズことコナー・オバーストが運営するレーベルTeam Loveの第1弾リリースの1つとして、アルバム『Wild Like Children』にてデビュー。鮮やかかつアートなポップ・センス、男女混声のヴォーカルが織り成すハーモニー、ドラムレスでタップ・ダンサーを擁したユニークなステージワークを武器に、ブライト・アイズ、ライロ・カイリー、ゴー!チーム、オブ・モントリオールらとツアーを行い注目を集める。2005年には同アルバムがUKのMoshi Moshi Recordsよりライセンス・リリースされる。2006年、2nd『ボトムズ・オブ・バレルズ』リリース。同作がV2 Japanよりライセンス・リリースされ、日本でもデビューを果たす。同作を引っさげ、ヨーロッパ、オーストラリア、日本を、CSSやライトスピード・チャンピオンらとツアーし、レディング、リーズ、コーチェラ、そしてサマー・ソニックなどのビッグ・フェスティヴァルにも出演、各地を大きく沸かせる。2008年3月、エレクトロニック色を強めた必殺のアンセム「Beat Control」を、ツアーと通販のみ販売の7”、そしてデジタル・シングルとしてリリース。同年6月、3作目のアルバムとなる『O』をリリース。ブライト・アイズやララバイ・フォー・ワーキング・クラスでもお馴染みの同郷の名プロデューサーであるマイク・モギスのプロデュースによる同作は、キッチュなポップネス、フォーキーな唄心、パンキッシュな勢い等々、彼らの幅広い魅力があらゆるベクトルに爆発しながらも、ひとつの大きな世界観を形成するという、バンドとしての理想的なステージに上がったことを告げる大傑作。V2 Japanの閉鎖などの影響で、半年遅れてリリースされる日本盤には、キラー・チューン「Beat Control」も追加収録する。

BIBIO

木曜日, 12月 15th, 2011

イングランドはウエスト・ミッドランズ在住のスティーヴン・ウィルキンソンによる1人ユニット。ユニット名は、幼い頃、父と釣りに行った際に使っていた毛針にちなんで付けられた。ロンドン大学でソニック・アーツを学んでいるときに、エイフェックス・ツインやオウテカ、ボーズ・オブ・カナダなどに出会い、大きな影響を受ける。ボーズ・オブ・カナダのマーカス・イオンによってUSはLAのMush Recordsに紹介され、2004年、同レーベルよりアルバム『Fi』でデビュー。アシッド・フォーク的なギター、ありふれた機材を使ったチープなエフェクト、カセットや壊れたサンプラーなどを使ったフィールド・レコーディングなどによる奇妙な、しかし愛すべき独特なサウンドは、インクレディブル・ストリング・バンドやジョアン・ジルベルト、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、トータス、そしてボーズ・オブ・カナダをはじめとしたWarp Recordsの面々を引き合いに出されながら、各誌で絶賛された。Urb Magazineでは”Next 100 Artists”に選出される。2006年には初のヴォーカルにも挑戦した2ndアルバム『Hand Cranked』をリリース。そのアシッドでアンビエントな世界観をさらに深め、気鋭のサウンド・クリエイターとしての地位を確固たるものとした。2007年にはクラークの「TED EP」にリミックスが収録され、また2ndアルバム収録曲がTOYOTAのCMに使用されるなど、話題を振りまく。そして2009年、Warp Recordsへの移籍という噂もまことしやかに流れる中、3rdアルバム『VIGNETTING THE COMPOST』が完成。前作以上にフィーチャーされたヴォーカルをはじめ、新しくも温かい、革新と郷愁を同時に感じさせるようなサウンドスケープを編み出す彼独自の手法が完全に確立。今後益々注目されるよう運命づけられたこの天才プロデューサーの、円熟期の到来を告げる傑作。

BOY IN STATIC

木曜日, 12月 15th, 2011

ボストン出身のシンガー・ソングライターである台湾系アメリカ人アレクサンダー(アレックス)・チェンと、同じくボストン出身のドラマーである日系アメリカ人ケンジ・ロスによるデュオ。2004年にアレックスのソロ・ユニットとして1stアルバム『Newborn』でデビュー。ラップトップ、ギター、シンセ、ストリングスなどを全て独りでこなすホームレコーディング作ながら、その類まれなるセンスが、ドイツのThe Notwistを唸らせ、弱冠23歳が初めて作ったデモ3曲で、彼らが運営するレーベルAlien Transistorからのリリースを決め、大きな話題となり、ここ日本でも、輸入盤のみにもかかわらず、専門店を中心に驚異的な売り上げを記録した。Boy In Staticを始めるまでは、人前でバンド演奏をしたことがないという彼が、2005年には、The Notwistや、西海岸アンダーグラウンド・ヒップホップ界の雄Themselvesのメンバーで結成された13 & Godとヨーロッパとアメリカを共にツアーするという偉業を成し遂げる。そして2006年、Alien Transistorを離れ、Mush/& recordsに移籍し、2ndアルバム『ヴァイオレット』(YOUTH-010)をリリース。スロウダイヴやマジー・スターなどに影響を受けたシューゲイズ・サウンド、The Notwistや13 & Godなどに学んだエレクトロニクスとの自由な戯れ、幼少の頃から学んできたピアノやストリングスのオーケストラルな絡み、そしてそれらを全て優しく包み込む唄声が全編に溢れた傑作に。このアルバムを引っさげ、リンビック・システム、4 bonjour’s partiesとともに日本ツアーを敢行。そのツアーにもサポートとして参加していたケンジが、2008年より正式にメンバーとして加入。デュオとなる。そして2人体制となって初めてのレコーディング作となるのが2009年3月リリースの『CANDY CIGARETTE』。コーネリアスやハー・スペース・ホリデイらがそうであるように、アレックス=ボーイ・イン・スタティックだという認識であったファンは大いに驚いたが、さらに驚くのはこのサウンドであろう。BISのサウンドを表現するのにこれまではシューゲイザーというタームがよく使われていたが、彼らはもはや足元など見つめていない。ケンジだけでなく、ハー・スペース・ホリデイやウルリッヒ・シュナウスらもゲストに迎えて制作された本作には、これまでにないポジティヴさや開放感、そして眩しいばかりのポップネスに満ち溢れている。何度も聴くにつれ、最初の驚きや戸惑いが、大きな喜びに変わっている。そんな素敵な快作となった。日本盤には、アルバムに先行して本国で配信のみリリースされるデジタル・シングル「Young San Francisco」のカップリングとして収録されたリミックス3曲と、日本盤のみのオリジナル・リミックス3曲の、計6曲もの豪華リミキサー陣によるボーナストラックが収録される。