2002年4月、平松泰二と田原克行によって結成。2003年2月に10曲入りの1stアルバム『missing weather』をリリース。その後、& recordsに移籍。洋楽ばかりリリースしていた同レーベルにとって初めての日本人アーティストとなる。2004年5月に2ndアルバム『I KNOW YOU KNOW』、2006年3月に3rdアルバム『one plus everything』(レーベルメイトであるHer Space HolidayとOwenが参加)、2008年3月に4thアルバム『It could be done if it could be imagined』と、2年に1枚というマイペースなスタンスでコンスタントに活動。その卓越したメロディー・センスと浮遊感溢れる楽器アンサンブル、音楽ファンをくすぐる独特の音作りが高く評価されており、1stリリース時には日本テレビのインディーズ音楽紹介番組で満点を獲得、Space Shower TVとYahoo!の合同企画「NEW QUALITY MUSIC」で有望新人アーティストとして取り上げられ、2ndの時は主要音楽誌はもちろんMEN’S NON-NOやVOGUEといったファッション誌まで、実に20誌以上にて絶賛された。4thでは、雑誌SPA!でも大きく取り上げられ、収録曲「A.N.Y.」が「飯田の良い家♪」でおなじみの飯田産業のTV CMに使用される。また、ライヴでも、プラネタリウムやカフェなどで独自企画を開催、またHer Space Holiday、Nobody & Mystic Chords Of Memory、Tracer AMC、Kyteといった人気海外バンドの前座を務めるなど、決して数多くはないが、印象的な活動をしている。2009年5月、芸能花伝舎(旧淀橋第三小学校)で開催された廃校フェスに、曽我部恵一、キセル、HARCO、ウリチパン郡、にせんねんもんだいらと共に出演したのを最後に、またしても恒例の長期潜伏期間に。完全に表舞台から姿を消した。その間、各々プライベートな時間を過ごしながら、デモを作るも、少し時間が空くたびに新たな方向性やサウンドの模索に作業は難行する。そしてアルバム数枚分のデモを全て捨て、2011年初頭から再度製作に入る。2011年2月のL’altra来日時にはLindsay Andersonと会い、ゲスト・ヴォーカルとしての参加が決定(「seabed」「recollections」の2曲参加)。2011年3月の震災発生後、& records企画のベネフィット・コンピに「recollections」で急遽参加する。今作収録の「recollections」にはリンゼイがゲスト・ヴォーカルで参加しているが、ベネフィット・コンピ・ヴァージョンは平松のヴォーカルだけの、folk squat2人だけで完成させたヴァ―ジョン。このあたりから活動が活発になり、2011年6月には、彼らのフェイヴァリット・アーティストであるIDAHOの新作『YOU WERE A DICK』が発売され、日本盤にはfolk squatの2人がそれぞれライナーノーツ(平松)と、対訳(田原)を行っている。また2011年8月からは、12月に発売になった、& records初の日本人女性シンガー・ソングライターaoki laskaのデビュー・ミニ・アルバム『about me』の録音、ミックス、プロデュースを平松が担当。自分のアルバムも作らないで何やってんだという声を受けつつも、この作品が大絶賛を受けるにあたって、彼のプロデューサーとしての手腕が高く評価される。この経験と勢いを活かして、ゆっくりと進んできた自身の作品を急ピッチで仕上げ、ようやく、実に4年ぶりとなる5thアルバム『folk squat』が、結成10周年となる2012年に完成。これまでミックスは田原に負うところが大きかったが、aoki laskaでの経験を元に、今作ではミックスを田原が6曲、平松が5曲行うという、ダブル・プロデューサー体制に。もはやセルフ・タイトルしか付けられなかったというほど、結成から10年間、様々な紆余曲折を経てきた、しかし根本的には何も変わらない彼らの音楽性、メンタリティー、手法、そのすべてが詰まった、極めて濃厚な味わいの、まごうことなき最高傑作。
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folk squat
木曜日, 12月 15th, 2011nhhmbase
木曜日, 12月 15th, 20112004年より渋谷を中心にライブ(ほぼ月3)や打ち上げ参加(ほぼ毎週)など精力的に活動を続ける愉快な4人組。ありえないほど高度に構築されたポップ・ソングを、ありえないほどの熱量で破壊する。その光景を目撃した者は、涅槃へと誘われるという…(注:バンド名の中のnhhmは、オリジナル・メンバーの名前の頭文字を組み合わせたもので、彼らは仏教徒でもニルヴァーナの大ファンというわけでもない)。2006年9月、& recordsよりミニ・アルバム『nhhmbase』にてデビュー。変拍子を多用しながらも、不思議なほどシンプルでポップな印象を与える楽曲と、ときに出血し救急車で運ばれるほどテンションの高いライヴを武器に、group_inou、トクマルシューゴ、OGRE YOU ASSHOLE、54-71、PANICSMILE、moools、lostageらとともに、新たなアンダーグラウンド・シーンを作り上げる。Deerhoof, TYONDAI BRAXTON(BATTLES)、HER SPACE HOLIDAY、+/-{PLUS/MINUS}、OWEN、MATT POND PA、xbxrx、The Can’t See、Black Blackなど海外バンドとの共演も数多く、そしてその全てのバンドが彼らの虜になっている。さらに、国内ミュージシャンからの支持も熱く、EGO-WRAPPIN’、Base Ball Bear、the band apart、ストレイテナー、曽我部恵一、Chocolat & Akito、高田蓮、東京事変、依布サラサ、9mm Parabellum Bullet、Mass Of The Fermenting Dregs、sleepy ab.、相対性理論…等々、あらゆるジャンルや世代のアーティストから絶賛されている。2007年3月には、『STUDIO VOICE』誌の「ロックを担うかもしれない40組」に選出される。同年6月には、地上波全国放送の音楽番組『JUICE TV +』にて、OGRE YOU ASSHOLE、8otto、9mm Parabellum Bullet、Qomolangma Tomato らとともに“新世代突然変異バンド”として取り上げられ、さらにその最右翼バンドとして、nhhmbaseのみ異例の3週連続にわたってフィーチャーされる。2008年7月、54-71のリーダーこと川口賢太郎と、THE STROKESや8ottoを手がける世界的なプロデューサー&エンジニアであるヨシオカ・トシカズというと最強最凶のタッグによってプロデュースされた1stフル・アルバム『波紋クロス』リリース。 5日間でレコーディング、ミックス、マスタリング全行程終了、全編モノラル・ミックスという大胆な作品で、2008年インディー・シーンにおいて、最大の物議を巻き起こす。この作品を引っさげ、北は北海道、南は神戸まで、全国7箇所のツアーに出る。最終日は曽我部恵一BANDとのガチンコ2マンで、渋谷o-nestを熱狂の渦に巻き込む。この勢いのまま、+/-{PLUS/MINUS}、bloodthirsty butchers、mooolsとともに、初の海外となる台湾に進出。現地でリリースされた『波紋クロス』とともに、熱烈な歓迎を受ける。その後、作詞・作曲・アレンジ・アートワークすべてを手がけるマモル以外が全員脱退することになり、台湾での公演が旧メンバーとしては最後の公演となった。皮肉にも同行したbloodthirsty butchersの吉村秀樹から初めて賛辞を受けたほど、最後にして最高のパフォーマンスを見せた彼らの最終公演を、ライヴではお馴染みながら長らく音源化が望まれていたセックス・ピストルズ「ANARCHY IN THE UK」の名カヴァーも含め完全収録したライヴCD『ALIVE AT THE WALL』をリリース。長らくライヴ・バンドとして高い評価を得てきた旧メンバーによる第一期nhhmbaseの最高の瞬間を永遠に封じ込めた貴重な作品として輝き続けるだろう。現在、新メンバーを迎えて、マモルのソロ・プロジェクト的色彩を強めた新たなバンドとして活動中。2013年6月、自主レーベルrpmd recordsより、5年ぶりとなる2ndアルバム『3 1/2』をリリース。
JOAN OF ARC
木曜日, 12月 15th, 2011シカゴのポストロック~EMOシーンにおける先駆的な存在としていまや伝説の域にあるキャップン・ジャズ。そこから果てしない数の素晴らしいバンドが産み落とされた。プロミス・リング、アメリカン・フットボール、オーウェン、メイク・ビリーヴ、マリタイム、アウルズ、フレンド/エネミー、エヴリワンド、ヴァーモント…まだまだある。そんな広大なファミリー・トゥリーの、限りなく中心に近い場所に君臨するバンド、それがティム・キンセラ率いるジョーン・オブ・アークだ。高校生のときに始めたバンド、キャップン・ジャズが解散し、ジョーン・オブ・アークが始動したのが1996年。以来、ティム・キンセラを中心とした不定形グループとして、オリジナル・アルバムとしては10枚、他にもEPや、企画盤、ライヴ盤などをリリースしている。さらに、別ユニットやソロ・アルバムなども含めると、優に50枚以上のアルバムを生み出し続けている。2001年には、HEADZの招聘により初来日公演が実現。2003年には、ジョーン・オブ・アークの常連メンバーである4人で、メイク・ビリーヴを結成。あえてメンバーと楽器を固定したロック・バンドとしての可能性を追求。2度の来日公演を成功させている。それと平行して、ティムは映像作品という新たな領域にも挑戦。短編映画「A LOVER’S DISCORSE」(音楽はトクマルシューゴが担当)、長編映画「Orchard Vale」を制作している。その後、この映画を共に作り上げた妻エイミー・カーギルと離婚。そして、ティムは、一度脱退したメイク・ビリーヴに再び参加、映画をDVD化することにも執念を燃やし、そして、再び音楽仲間を招集しスタジオに篭る。そうして作り上げたのが、ジョーン・オブ・アークのオリジナル・アルバムとしては9作目となる『ブー・ヒューマン』である。公私ともに様々なドラマを体験したティムの、振り絞るかのような唄声が大きく胸を打つ。”それでも”作品を続けるしかない、表現者としての業が滲み出たかのような、重厚な作品の誕生となった。そして2008年6月、この傑作が生み出される過程として欠かせない作品であるメイク・ビリーヴのまさかの復活3rd『ゴーイング・トゥ・ザ・ボーン・チャーチ』、映画DVD『オーチャード・ヴェール』とそのサウンドトラックCDを引っ提げ、実に7年半ぶりとなる再来日公演が実現。メイク・ビリーヴ、ラヴ・オブ・エヴリシングのボビー・バーグ、元シャークス・アンド・シールズのトッド・マッテイを含む総勢5名で、6月末より、全国7ヶ所での公演を行った。中でも、ピンク・フロイドのザ・ウォールTシャツを着て90分もの間、鬼気迫る唄を披露した東京公演は、間違いなく歴史に残るショウだった。このライヴは後にDVD『LIVE IN TOKYO』としてリリースされている。このツアー終了後、ティムは文学をさらに追求すべく、再び大学へと戻っている。2009年、10th『フラワーズ』リリース。ツアーや学業の合間を縫って制作された。痛々しいほどにエモーショナルだった前作に比して、アルバム・タイトルからも見受けられるように、人生を俯瞰して見つめる視線が感じられる、より穏やか、かつ大胆な作品となった。それから2年。キャップン・ジャズの、まさかの再結成ツアーにより、オウルズ以来、実に10年ぶりに再会したヴィクターをギターに迎えたエッセンシャルな4人で、USとヨーロッパにてツアーを敢行。ほとんど休みなく毎日のようにプレイすることによって、強靭に鍛え抜かれた楽曲をもって、ツアー終了直後からエレクトリカル・オーディオ・スタジオに入り、スティーヴ・アルビニによって、バンドの最良の状態を捉えた9曲を収めた11枚目のアルバム『LIFE LIKE』が完成。オウルズやメイク・ビリーヴの1stを手がけたアルビニだが、ジョーン・オブ・アークとしては初のタッグとなるが、当然のごとく相性は最高。メイク・ビリーヴのように最低限のバンド・フォーマットでありつつ、ここまで刺激的なサウンドを生み出せる彼らの才能に驚愕するのみである。日本盤には昨年10月リリースの7”の楽曲を追加収録。
OWEN
木曜日, 12月 15th, 2011Joan of ArcそしてThe Promise Ringという90年代半ばから現在にまで通じるEMO~ポストロック・シーンの代表的2大バンドを産み落としたことでいまや伝説的な存在となっているCap’n Jazz。中心となっていたのは、現在もJoan of Arcの中核であるティムとマイクのキンセラ兄弟。そこでは一貫してドラマーとしてリズムを支えていた弟マイクが、兄に勝るとも劣らない唄心の持ち主であったことは、1999年にリリースされたAmerican Footballの傑作アルバム『American Football』で広く知られることとなった。American Footballとしては1作で終わってしまったが、その後も様々なバンドでプレイしつつ、自らの唄心を育み続け、それは新たなプロジェクトとして結実する。それがこのOwen。これまでに7枚のアルバムと、数枚のEP、スプリットなどを、コンスタントかつマイペースにリリース。Maritime(元The Promise RingのDavey von Bohlenらによるバンド)の前座なども含め、7度来日を果たし、54-71、toe、HUSKING BEE、二階堂和美、曽我部恵一、group_inou、nhhmbase、GELLERS、シャムキャッツ、在日ファンク、COMEBACK MY DAUGHTERS、OGRE YOU ASSHOLE、にせんねんもんだいらと共演している。Charaや坂本真綾もファンであることを公言するなど、日本でも確固たる人気と評価を誇る。近年は、自身がドラマーを務める新バンドTheir/They’re/There(Into It. Over It.のEvan WeissとLoose Lips Sink ShipsのMatthew Frankがメンバー)を結成、さらにCap’n JazzやOwls、そしてAmerican Footballの復活等、多忙を極める中、キャリア初となる全曲カヴァー曲で埋め尽くされたアルバムが到着。とはいえ安易な企画盤では全くない。盟友The Promise RIngの名曲をはじめ、そのセレクトは実に“らしく”ニヤッとさせられる。プロダクションは、オリジナル・アルバム以上の繊細さで作り込まれているし、数々の名曲が、OWENの“あの声”で唄われることによって、OWENの曲になってしまう、そんなマイクの唄心の強靭さを改めて確認することができる、貴重な作品となっている。近年はTheir/They’re/Thereの結成やCap’n Jazz、Owlsの再結成で、ドラマーとしての再評価されているマイクであるが、本作ではシンガーとしての魅力が存分に堪能できる。そして、OWENファンが、ここからまた音楽の幅広さ、奥深さを追求していけるきっかけ、指針となるようなアルバムであるとも言える。日本先行で、さらに日本のためだけにレコーディングされたJawbreakerのカヴァーがボーナストラックとして収録される。
YOMOYA
木曜日, 12月 15th, 201103年初夏より、渋谷、新宿、下北沢を中心に活動するトリオ。エレクトロニカ、ポスト・ロック、オルタナ、USインディー、フォーク、J-POPなどを消化した、高次元の音楽性と人懐っこさが同居したサウンド、電飾を施したステージで繰り広げる激しさと繊細さが交錯するパフォーマンス、そしてなにより文学性や叙情性を感じさせるメロディー、日本人の心の琴線にどうしても触れてしまうような声が、都内のライヴ・ハウス・シーンで話題に。06年には、スコットランドの至宝ARAB STRAPの来日解散ツアーのオープニング・アクトに抜擢。さらに、ドン・マツオ(Zoobombs)のバック・バンドを務めるなど、邦楽洋楽の垣根を軽々と飛び越える稀有なバンドとしての存在感を示す。08年6月、1stアルバム『YOURS OURS』をリリース。レコーディング、ミックスにこだま和文などを手がける手塚貴博を迎えて制作されたこのアルバムは、トクマルシューゴから絶賛コメントを寄せられたり、クッキーシーン誌にて岡村詩野氏に「くるりがデビューしてきた時のような、ちょっと不気味な手応えを感じる」と評されたのをはじめ、各誌で絶賛を浴びる。その後も、山形の映画館だった建物で行われたロック・フェスDo It 2008に、曽我部恵一BAND、bloodthirsty butchers、toeらと共に出演するなど、精力的にライヴをこなす。09年5月、プロデューサー/エンジニアに、moools の名盤『モチーフ返し』やOGRE YOU ASSHOLEの出世作『アルファベータ vs, ラムダ』を手がけた7e.p.の斉藤耕治と多田聖樹を迎え、クラムボンやOGRE YOU ASSHOLEらも使用する山梨・小淵沢のスタジオ「星と虹」にてレコーディングされた2nd『Yoi Toy』リリース。Base Ball Bearの関根史織から絶賛コメントを寄せられたのをはじめ、クッキーシーン誌にて、「2010年代の主役たち」の筆頭としてフィーチャーされたり、スペースシャワーのDAXとMySpaceが選出する裏MyXに選ばれへヴィーローテーションされるなど高い評価を得る。その後も、渋谷o-nestで初のワンマンを成功させたり、渋谷O-EASTでのnest festival ‘10や下北沢中のライヴハウスで同時開催された下北沢インディーファンクラブに出演するなど精力的に活動している。2011年、ドラムの東の脱退という試練を乗り越え、前作と同じプロダクション・チームとともに制作された3rd『Yawn』リリース。東名阪のツアーや、アルバムにも参加したカナダのI AM ROBOT AND PROUDとの2マン公演、また初の九州ツアーを成功させるなど、さらなる飛躍が期待されたが、2011年12月22日、o-nestでのワンマン公演にて惜しまれつつ解散。
4 bonjour’s parties
木曜日, 12月 15th, 20112001年より、宅録の閉鎖的なイメージを開放するというコンセプトのもと、 自由で良質な音楽を追求する室内開放音楽集団。当初は、映像とリンクしたインストゥルメンタルが中心だったが、ヴォーカル&フルート奏者の鹿野の加入により歌を中心とした楽曲にシフトする。06年にトランペット&トロンボーン奏者の浜田が、09年にVo.の矢作が加入し、現在のラインナップに。主に作曲を手がける植野と灰谷の楽曲を素材に、ヴィブラフォンや、フルート、トランペット、クラリネット、トロンボーン、ラップトップなどでカラフルに調理。男女混声のハーモニーが、オーガニックでエレクトロなサウンドに優しく包まれる。3枚の自主制作音源制作や、都内ライヴハウス活動を経て、05年秋にはオーストラリア・ツアーを敢行。アデレードとメルボルンで行われた3回のライヴでは、所狭しと並べられた楽器を、メンバーそれぞれが曲中に交換しながら、次々にその場の空気を変えていく彼らの楽曲が高く評価され、大成功を収める。その際、親しくなったClue To Kaloとは、交流が続き、06年6月に来日した際には、公演を全面サポートした。その他、Clue To Kaloとともに共演したHer Space Holiday他、Dirty Three、Jens Lekman、Calvin Johnson、Camera Obscura、Duglas T Stewart(BMX Bandits)、Club 8、Anathalloら海外勢と多く共演。国内ではトクマルシューゴ、オルガノラウンジ、Tenniscoats、Henrytennis、Advantage Lucy、カジヒデキらとステージを共にしている。07年5月、1stフル・アルバム『PIGMENTS DRIFT DOWN TO THE BROOK』をリリース。ミックスとマスタリングを手がけたTsuki No Wa/マヘル・シャラル・ハシュ・バズの庄司広光の手によって、グラスゴーからブリストル、シカゴ、そしてアデレードまで、そしてギター・ポップから、エレクトロニカ、ポスト・ロック、チェンバー・ポップまで、国境、ジャンルを越えて、音楽に自由な風を注ぎ込む、その空気そのものが、そのままパッケージングされた傑作に。USでは、Mushから、初の日本人アーティストとしてリリースされるという快挙も成し遂げ、6月には、レーベルメイトであるLymbyc SystymとBoy In Staticとともに、全国4ヶ所を回るMush/& showcase tourを敢行。11月には同じくレーベルメイトであるHer Space Holidayことマーク・ビアンキのアコースティック・プロジェクトxoxo, pandaのバック・バンドとして全国6ヶ所を回る。マークの“The New Kid Revival”というコンセプトと、彼らの無邪気な音楽性が見事にマッチし、大きな化学反応を引き起こした。同じ形態で、08年には台湾最大の野外フェスティヴァルFormoz Festivalにも出演。台風直撃というアクシデントの中、マークと共に大トリの大役を務める。さらに09年にはオーストラリア・ツアーも敢行。10年4月に急遽行われたHennessey主催のイヴェントでも共演(他にはCarolineやLEO今井らが出演)。マークの欠かせないパートナーとなる。他にも、かわいらしい猫の生態を綴って爆発的なアクセスを記録したブログからDVD化された『めめ一家の毎日』のサウンドトラックを担当したり、フランスの人気ビデオ・ポッドキャスティング“The Take Away Shows”(公園や街中などで演奏するアンプラグド・ライヴ企画。これまでにArcade Fire、Wilco、mum、Phoenix、Yo La Tengo、Fleet Foxes、Vampire Weekend、Dirty Projectors等々、錚々たるバンドが出演)に、日本からトクマルシューゴ、Tenniscoatsらと並んで出演、また笠間芸術の森公園や埼玉スタジアムのコンコース、神戸の旧グッゲンハイム邸でのイヴェントに出演するなど、独自のスタンスで活動を展開しながら、2ndアルバムを制作。途中、リーダーである灰谷と、加入したばかりの矢作がオーストラリアに留学するというアクシデント(?)もあり、遠距離バンドとして、実に3年もの時間を費やし、遂に2ndアルバム『okapi horn』が完成。the motifs、crayon fields、aleks and the ramps、Peter Joseph Headといったオーストラリアの友人バンドがたくさん参加し、前作同様、庄司広光によってミックスとマスタリングが施された今作は、D.I.Y.精神を貫くその独自のスタンスと、メンバー個々の課外活動が集大成され、音楽への愛情、好奇心、探究心、喜びが溢れまくった、まばゆいばかりの傑作。Belle & Sebastian、mum、Sigur Ros、Au Revoir Simone、Stars、Caribouなどのファンに。
HER SPACE HOLIDAY
木曜日, 12月 15th, 2011サン・フランシスコ近郊のサン・マテオ出身のシンガー・ソングライター、マーク・ビアンキによる1 人ユニット。
元々、Indian SummerやCalmといったハードコア・バンドで活動していたが、1996年よりハー・スペース・ホリデイとして1 人で創作活動を開始。最初期は、箱庭的スペーシー・ポップであったが、2001 年リリースの4th アルバム『MANIC EXPRESSIVE』(アートワークはRadioheadの『Kid A』を手がけたShynola)、『THE YOUNGMACHINES』(2003 年)、『THE PAST PRESENTS THE FUTURE』(2005 年)のオーケストラル・ポップな「エレクトロニカ3 部作」で決定的な評価を得る。その後、がらっと方向性をかえ、オーガニックで力強い歌が詰まったxoxo, panda をスタートさせる。
これまでに、Bright Eyes、The Go Team、The Faint、Pinback、Bob Mould、Daedelusらとツアーし、R.E.M.、Elastica、Kool Keith、Xiu Xiu、Boom Bipらのリミックスを手がけ、Matmos、Dntel、Stereolab、Super FurryAnimalsらにリミックスされている。また、最近では、Hanni El Khatibのデビュー・アルバムを共同プロデュースしている(Hanni は『THE YOUNG MACHINES』と『THE PAST PRESENTS THE FUTURE』のアートワークを手がけている)。
日本でも、2005年のサマー・ソニック出演、盟友The American Analog Setとのカップリング・ツアー、高橋幸宏のソロ・アルバム『Blue Moon Blue』およびツアーへの参加、Joseph NothingとPianaとのコラボ・ユニットThe Heartbreak Moment、xoxo, pandaとして4 bonjour’s partiesをバックに従えての全国ツアー、さらにサッポロビールYEBISU THE HOPのCMに、コーネリアスや曽我部恵一、クラムボン、高田蓮、つじあやのらと並んで、外国人として唯一人出演するなど、すっかりお馴染みの存在となっている。また、台湾でも、国内最大級のロック・フェスティヴァルFormoz Festivalの、休止前最終公演の大トリを務めるなど、絶大な人気を誇る。
そんな彼だが、2007 年の『xoxo, panda and the new kid revival』(日本以外では、HER SPACE HOLIDAY 名義で、このタイトルでリリースされている)以後、いつくかのCM と、2010 年4 月に突然決まった代官山UNIT と埼玉のcafe couwa でのライヴ以外、音沙汰がなかった。彼は再びオースティンに居を移し、静かに、ゆっくりと、何年もかけて、HER SPACE HOLIDAY を終焉させるべく、最後のアルバム『HER SPACE HOLIDAY』の制作にとりかかっていた。
これまでの1人きりでの制作スタイルを捨て、プロデューサーであるStephen Ceresiaとともに彼のスタジオであるSunday house studio に入り、これまでになくたくさんのゲストを迎える形でレコーディングは行われた。IndianSummerのドラマーだったEyad Kailehをはじめ、日本や台湾、オーストラリアでのバック・バンドを務めてきた4 bonjour’s parties、2010年の代官山UNITで共演したCaroline Lufkin(Caroline/Mice Parade)、Via TaniaのTania Bowers、City LightのNick AndreとMatthew Shaw、Ola PodridaのDave Wingo…等々、そのリストは10 人以上になる。そうやって作られた本作は、ドリーミー・ポップ、エレクトロニカ、フォーク、サイファイ、ヒップホップ、ローファイ…これまで彼が経てきた音楽表現方法のどれかに偏ることなく、全てを包含して総括した、まさに集大成と呼ぶに相応しい芳醇な音楽性を宿している。また、これまでどんな音楽性を纏おうとも、決して変わらなかった、彼の優しい人柄がそのまま伝わるような温かいメロディーと唄心は今作でももちろん健在。まさに、マークが、Her Space Holiday として、出せるものをすべて出しきった、渾身の一作。
aoki laska
木曜日, 12月 15th, 20112011年12月、ミニ・アルバム『about me』で& recordsよりデビュー。同レーベル所属であるfolk squat の平松泰二がプロデュース、レコーディング、ミックスを手がけ、同じく同レーベル所属であったYOMOYA(現在は解散)の長倉亮介、4 bonjour’s partiesの日下部裕一も参加したこの作品は、ART-SCHOOL、Ropes の戸高賢史が絶賛コメントを寄せるなど、リリース前から大きな話題を呼び、exPoP!!!!! や KAIKOO POPWAVE FESTIVALに出演を果たし、強烈なインパクトを残す。リード・トラックである名曲「群れ」 はTOKYO FM やFM 石川、USENなどでヘビーローテーションとなる。同曲のMVの監督はenvyやLOSTAGE、チャットモンチーらの作品を手がけるMINORxU。2012年、初の関西ツアーや東北ツアーも成功させ、3月にはCharaや坂本真綾もファンであるというアメリカのOWENの前座も務める。4月には、デビュー後わずか半年たらずでARABAKI ROCK FESTに出演するという快挙を果たす。6月にはスズキの軽自動車「ラパン」のTV CMで、広末涼子の「大スキ!」をカヴァー。全国で大量オンエアされ話題に。SHIMOKITAZAWA SOUND CRUISING、下北沢インディーファンクラブ、見放題などのライヴ・サーキットにも相次いで出演する。そんな中、前作からわずか半年のインターバルで1stフル・アルバム『it’s you』をリリース。前作同様、folk squatの平松泰二が全面プロデュース。ライヴでおなじみの「物語」や「ひとつになりたい」、平松のトラックが冴え渡る、ポップな「みてみて」「kiseki」、アメリカのシンガーソングライター、エイミー・マンのカヴァーなど、どんな楽曲にも彩りを与える彼女の唄声の魅力を存分に伝えるヴァラエティに富んだ全10曲となり、シンガーソングライターとして、その才能を大きく開花させた。9月に、代官山晴れたら空に豆まいてにて、ゲストにYeYe、Predawn、Carolineを招いて開催されたリリース・パーティーは、現在最高の女性シンガーソングライター祭りといった趣となり、ソールドアウトの大盛況のうちに終了した。その後、結婚を機に京都へ移住。2015年6月、3年ぶりとなるアルバムをリリースする。同年11月、同アルバムより「声」を7インチでシングル・カット。初のアナログ・リリースとなる。
KNESSET
木曜日, 12月 15th, 2011フェニックス、ロス、そしてNYを拠点に、2007年より活動する4人組。結成してからすぐ精力的にライヴ活動をこなし、ギター、ヴィブラフォン、ハープシコード、ローズ・ピアノ、アナログ・シンセ等を丁寧に編み上げ、そこに心に自然に染み込むような唄心を乗せたバンド・サウンドが評判を呼び、音源をリリースする前に、The Album Leaf、The Appleseed Cast、Asobi Seksu、Her Space Holiday、The Life and Times、Dear and the Headlightsらと共にツアーを行う。ミックスにJohn Congleton(Modest Mouse、Explosions in the Sky、Black Mountain、R. Kelly、Bono[U2]、Erykah Badu、The Rootsらを手がける敏腕プロデューサー)を、ゲストにMike Bell(Lymbyc Systym、Crystal Castles)を招き、3ヶ所に離れて暮らす中、2年近くかけてじっくりと制作されたこのデビュー・アルバムのサウンドを聴いて浮かんでくるのは、American Analog Set、Grandaddy、Sonic Youth、Sigur Ros、Blonde Redhead、Sea & Cake、Broken Social Scene…といったインディー・ロックの素晴らしいバンドたち。そういった偉大な先達のエッセンスを貪欲に吸収、咀嚼し、新鮮な響きを持ってアウトプットさせるという、卓越した感性を持つ新星の、記念すべきこの1stアルバムを、全世界に大幅に先駆け、& recordsより日本リリースする。
ADMIRAL RADLEY
木曜日, 12月 15th, 2011グランダディのヴォーカルであったジェイソン・リトルとドラマーであったアーロン・バーチ、そしてアーリマートのアーロン・エスピノーザとアリアナ・マーレイ、この盟友4人による新たなるバンドが、このアドミラル・ラドリーである。グランダディは1992年にカリフォルニアはモデストで結成。97年、インディーのWill Recordsよりリリースされた1stフル・アルバム『アンダー・ザ・ウェスタン・フリーウェイ』がV2の耳に留まり、翌年V2より再リリースし、ブレイク。2000年リリースの2nd『ソフトフェア・スランプ』で人気と評価を不動のものとする。同年、第1回サマーソニック出演のため来日も果たしている。2001年に再来日が予定されていたが、ジェイソンの怪我のため中止に。その後2枚のアルバムをリリースしたあと、結局日本に戻ってくることなく、2006年に惜しまれつつ解散。一方、アーリマートは、エリオット・スミスやフォーク・インプロージョンのエンジニアであったアーロン・エスピノーザによって1999年に結成されたバンドで、現在はアーロンとアリアナの2人組。グランダディの出身地であるモデストのレーベルDevil In The Woodsよりアルバム『Filthy Doorways』でデビュー。3rdアルバム『Everyone Down Here』ではジェイソンが2曲共同プロデュースを担当している。2008年、5thアルバム『メンター・トーメンター』で& recordsより日本デビュー。同年、6thアルバム『ヒム・アンド・ハー』リリース。2009には来日ツアーを成功させている。このように、長い付き合いである彼らは、以前よりアーロンが所有するスタジオThe Shipでセッションを繰り返していた。アーリマート来日時点では、それまでに形になっていた曲は4曲ほどであったが、その後またセッションを繰り返し、気が付けば11曲という、アルバムには十分な楽曲が完成。決して、その場の楽しみのためだけに作られた音楽ではなく、両バンドの良いところだけを抽出して結晶化したような、素晴らしい作品となった。まるで、そうなることが自然に決まっていたかのように、少なくとも2009年にリリースされたジェイソンのソロにはなかった、バンドならではのマジックに溢れている。暫定的に、冗談っぽく、アーリダディやグランマートなどと称していたバンド名もアドミラル・ラドリーに決定。本格的にバンドとして始動する。2010年の3月にはSXSWで初めてのショウを行う。SPIN誌は、彼らのショウをSXSWのベストの1つとして取り上げ、「おかしなエフェクトと移り気なテーマを持って、研ぎ澄まされて、複雑に編み上げられた曲達」と評した。NPR(The National Public Radio)は番組「All Things Considered」のためにセミ・アコースティックのセッションを3曲レコーディング(このうちの1曲がボーナストラックとして収録)。「輝かしい新たな未来を持ったバンド」とし、曲は「あなたが期待するとおり美しい」と評した。また、Web In Frontは「ウィットに溢れるポップから、熱いロック、エレガントなバラードまで、独特の雰囲気がある幅広い楽曲群。チェックする価値のあるバンド」とした。そして7月、アーロン自身が所有するスタジオでありレーベルThe Shipから、いよいよリリースされる本作。日本盤はボーナストラック、そしてかねてからジェイソンと親交の深いイラストレーター北沢平祐によるライナーノーツが付いて、1週間先行でリリースされる。同月にはUSでのツアーも決定しており、幻となったグランダディの来日公演以来、10年ぶりとなるジェイソンの再来日に向けて期待が高まる。